無意識日記々

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ヴィジュアル・イメージの取り合い

『Laughter in the Dark Tour 2018』映像商品を聴きながら「そういえば当初は『初恋』を耳にする度にドラマのイメージが浮かんでたなぁ。」と気がついた。いつのまにか浮かばなくなっていたなという意味だ。

音楽は音だけで独立しているのでそれにどんなヴィジュアル・イメージが伴うかは個々人千差万別だ。こちらも当初は音源がリリースされるまではひたすらドラマで流れる場面をリピートするのみで、『初恋』といえば杉咲花、みたいなところがあった。

ヒカルは1999年当初、各テレビ番組の歴代最高視聴率を連発していた事からもわかるようにテレビでの注目度も最高度だった訳だが如何せん出演機会が少なかった為局はヒカルの話題が出る度に『Automatic』などのミュージックビデオを流して尺を埋めていた。お陰で暫くは「宇多田ヒカルといえば天井の低い部屋でくねくね踊ってる人」というヴィジュアル・イメージがついてまわった。

音と映像の結びつきというのは本来は弱いものだ。裏を返せば、その実そんなに関係があるとは思えない音と映像でも常に一緒に再生されていればそれが結びつきとして人々にインプットされていく。

『初恋』だって別にテレビドラマだけに合わせて作った歌ではなかったが、ずっと一緒に再生したから私の中で音とイメージが結び付いていた。しかし結局、恐らく最終的にはライブコンサートで「『初恋』を歌う宇多田ヒカル」という“絵”が強烈過ぎて上書きされてしまったのだろう。今や『初恋』のいちばん強いヴィジュアル・イメージはヒカルの歌う姿である。そしてそれは、恐らくいちばん望ましい。

しかしそれとは別に、歌に強いヴィジュアル・イメージを抱かせるものがある。歌詞だ。その話からまた次回、かな? 気が変わるかもしれんけど。