無意識日記々

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1人で乖離

知名度と後世への音楽的影響はそう簡単には比例しない。20世紀でいえば、The Beatlesが奇跡的に超有名且つ影響特大という"超例外"として存在した為、ちょっとそこの所を誤解しているが。

やはり、テレビの画面に映るかどうかなのだろう。80年代に歌謡曲・流行歌を聴いていた人にとって、最もよく触れた馴染み深い人物は松田聖子でも中森明菜でもなく、筒美京平松本隆だったりするのだが、彼らの顔なんて皆知らないし名前すらわからない人が大半だ。裏方というのは、大体そういう扱いを受ける。

日本の場合、ちょっと風向きが変わったのが90年代で、バンドブームからヴィジュアル系への流れで自作自演が主流になったし、数は多くないが小室哲哉を筆頭とするプロデューサーブームでプロデューサー買いなんかも行われた。裏方が前面に出てきたのだ。

勿論、シンガーソングライター系は昔から一定数存在して、裏方と表舞台を同時にこなしてきた。ヒカルもそのうちの1人、となるのだけれどあまりにも表舞台への初登場が強力だった(出る番組の最高視聴率を軒並み更新していった)為、裏方としての評価との落差が大きくなり過ぎたきらいがある。

いや、確かに、受け手の最大多数派は、「クレジットなんて気にしない、歌手の顔と名前まで」なんだから、それこそ気にしていても仕方がないのだけれど、それこそ小室哲哉の100分の1でいいからプロデューサーとして評価されていたら、色んな状況は変わっていたかもしれないなぁ、と思う。

思うに、リアリティがなかったのではないか。プロデューサーというとどうしても上司〜ある程度年齢のいっている人、というイメージが先行し、二十歳そこそこ、しかも女子とあってはプロデューサーという冠が言葉として馴染まなかったんじゃあなかろうか。

歳を取る、というと女性は特にネガティヴに捉えがちだが、ことヒカルに関していえば、今や主要な仕事のひとつになったプロデューサー業について、少しずつではあるが外面的に"サマになる"年齢に差し掛かり始めているんじゃないかと。25歳を越して現れ始めた「宇多田ヒカル姐さん」という呼び方もその前兆なんではないか。

15歳の頃から見ている者にとっては姐さん呼ばわりは抵抗があるかもしれないが、悪い事ではない。仕事に見合った評価に徐々に近づいていくとしたら、この上無い。少しずつ、収まりのいい所に近づいていってるんじゃないかな。