無意識日記々

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きまぐれはまぐれあたりするのか

今朝照實さんからツイートがあって、「宇多田ヒカルのうた」の選曲は「各アーティストにお任せ」だそうだ。それは、あんまり良い兆候ではない。

そのまんま字面通りに受け止めるのもよくない。本当に各アーティストの自由な選曲に任せていたら全12曲中4曲がFirst Loveとか、逆に誰もFirst Loveを歌わないとかいう事態も考えられる。もしそうなっていたとしたら大した度胸だが、恐らく、向こうから選曲案を提示されてある程度は割り振る感じで全体がオーガナイズされているのではなかろうか。

しかし。だとしたらこの作品、「アルバム」である意義はあるのだろうか。気になる選曲、気になるアーティストをピックアップして配信購入すれば十分だし、そうやって順々に1曲々々聴いていった方が楽しめそうだ。もしかしたらCDを買って一気聴きした方が疲れちゃって楽しめないかもしれない。

こういう作品になると、例えば全12曲収録として、ではなぜ11曲や13曲ではいけなかったのかという話になる。今回この感じだとかなりカバーするアーティストの皆さんに任せていそうなので、てんでバラバラなサウンドのただ曲を集めただけの作品になりかねない。

「ただのお楽しみ企画なんだから、そこまで肩肘張らなくても…」と自分としても思うのだが、それにしては気合いが入りすぎている。アルバム先行試聴会を、店舗予約購入者限定で、抽選で、録音や撮影も禁止―つまり、SNSでの拡散は考慮に入れていない―行うだなんて気合いが入っていないと出来ない。各店舗に予約申込書を配布するだけでもえらい手間がかかっている。そこまでする作品なら―店頭でCDを買って聴いて欲しい作品だというのなら、こっちも身構えてしまうという訳だ。飲食店の内装や接客態度が料理の味の評価に直結するように、音楽も聴くまでの事前の演出効果は大切である。そこのところのアンバランスを感じる。

こういうソングカバーアルバムで大事なのはコンセプトとオーガニゼーションだ。個性の塊であろうアーティストさんたちの自由にさせてしまえば、アルバムとしてのまとまり、選曲とサウンドのバランス、曲順などに何の必然性もなくなる。コンピレーションなんだからそれでいい―という気楽な立場なら宣伝方法を間違えている。一体どっちなのだろう。少なくとも、第一報の撒き方では、適切に期待感を煽れたとは思わない。全体を覆う空気でいちばん多いのは…恐らく、「なんだ、Hikkiが歌うんじゃないのか」、だろう。各媒体に速報を流してもらって全国のCDショップと協力して最初に作った空気がこれ、というのはなんだか切ない。

勿論、ここから巻き返してもいいが、特に参加アーティストの発表はずれ込めばずれ込むほどまずい。カバーアルバムを作る、という情報が入ってきた時点で皆あれやこれやと想像するんだから、時間と共に期待感は増し、即ち発表された時の落胆も大きくなる。カバーアルバムが作られるという事を知らない時点で、いきなり参加アーティストのラインナップ、宣材写真を特設ページのトップにずらりと並べて「これだけのアーティストが一挙集結!」とやった方が遥かにインパクトが強かっただろう。或いは、先行試聴会応募の初期段階での動きを見たくてわざとズラしたのかもしれないが、ここら辺は今後のお手並み拝見といったところか。


グダグダ言ってるけど、初述の通り、私個人は凄く楽しみなのでその点に関しては心配していない。"ソングライター宇多田ヒカル"の神髄を再確認する絶好の機会なのだから。嗚呼楽しみでゲソ。