無意識日記々

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のこるもののこすもの

明晩はスペシャ(とプラス)でヒカルの番組が再放送される。宇多うた特番30分も含めて。見逃した方は是非。初回を捕獲した人も、今のデジタル時代番組コピーはひとつでも手元に多く残しておいた方がいいだろう。後々ファングッズのトレードの時なんかに重宝する筈。デジタルになって面倒が増えるって本末転倒なんだがまぁしゃーなし。

といっても、元々テレビ放送のデジタル化の本来の目的のひとつがこの著作権保護の強化なのだから当然っちゃ当然か。音楽業界がCCCDで頓挫したのとはえらい違いというか、やはり事業規模の大きさとそれに伴う影響力、政治力が段違いだったのだろう。

宇多田チームがその昔…もう干支が一回りする位昔になるのか、CCCDを「音質が劣化するから」という理由で却下したのはそれなりに有名な話かな。一方で、著作権保護の方法論自体は模索するべきだとしていた。つまり理屈でいえばもしCCCDに音質劣化が伴っていなければ採用していた事になる。

著作権保護という観点で最も成功を収めたのは着うただった。支払いも決済代行かな、兎に角総てを携帯電話端末と紐付けしてガッチリ縛り込んだものだから、多分着うたのコピーを友だちにあげるとかそういうのも一切無かっただろうし、210円とかだったから「だったら買うか」となっていただろう。そりゃあ売れるわ。

問題なのは、そうやって何百万ユニット…恐らくキャリア通してなら2000万ユニットとかになるのかな、それだけを売っておきながら、もう誰の手元にも音源が残っていないという点だ。誰の手元にも、というのは大袈裟にしても、音源というものをアーカイブスとして扱われてきたものだという感覚を"着うた世代"は共有していないのかもしれない。

そう考えると、今回のくまちゃんUSBはとことん真逆の方向性にある商品だ。一生引き出しにしまっておいて欲しい、或いはダッシュボードの上に飾っておいて欲しい、そんなコンセプトが垣間見える。USBという規格がいつまで通用するかはわからないが、モールド自体が所有欲を満たし続けてくれるだろう。

Flavor Of Lifeの着うたを購入した層のうちどれくらいが今残っていてくまUSBを買ってくれたか。定かではないが、この振り幅の中で我々が翻弄され続けている事だけは確かだろうなぁ。望んでやってる事だからそれでいいんだけどさ。