無意識日記々

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現役感の演出

宇多うたアルバムの意義のひとつに、「宇多田ヒカルが"今は居ない"」のを周知する、というものがあった。これは、居る事をアピールするより遥かに難しい。しかも、ただ居ないというだけでなく、「戻ってきてくれたらなぁ」と思わせる事が重要だ。「そういえばそんな人居たね」になってしまっては元も子もない。そうなってしまうなら、寧ろそんな企画は"やらない方がよかった"と思われてしまう。

"現役感を演出する"というのはHikki_staffも細心の注意を払っているポイントだ。ディレクターの沖田さんによると、ハイレゾシリーズで「First Love」の次を「Distance」にしなかった理由のひとつとして、「もしオリジナル・アルバムを順番にハイレゾ化していく事になったら、それによって宇多田ヒカルが"過去のアーティスト"として受け止められてしまうおそれがある」というのがあったそうな。過去のある時点でのアルバムより、直接現在に繋がってくるシングル・コレクションの方がベターだという判断なのだろう。実際、iTunesStoreでもシングルコレクションはロングセラーアルバムとして未だに売れ続けているし、昨年のブックオフ取引No.1アルバムでもあったという。10年前の作品だというのに。シングルコレクションをフォローする、というのは今でも存在するニーズに呼応してというのもあったのだろう。

とはいえ、だからといってオリジナル・アルバムは今後ハイレゾ化しません、という事はないようだ。今のところ予定はありません、というだけで。これもきっと、今後のヒカルの活動ペースに合わせて計画が立てられていく事だろう。

果たして、この、宇多うたアルバムの「現役感を出しつつ名前を思い出してもらう」作戦は奏功しただろうか。機運、というヤツである。ヒカルの新年一発目のツイートは、タイミング的にこの機運を逃さないものだった、という事も出来る。雰囲気作りだ。勿論彼女の事だから何をいつ呟くかというのは本人の自由なのだろうが、"作曲中"というキーワードを解禁していいかどうかはある程度確認を取り合っている筈である。もっとも、今やヒカルは、WILD LIFEで座長を務めたように、プロジェクト全体を統括する立場だろうから自分で総て判断してしまってもよいのだが。

いずれにせよこうやって生まれた機運をどう活かしていくか。それがあるかないかを見ていくのがここ3ヶ月のテーマのひとつになってゆくだろう。宇多うたアルバムサマサマでございます。