無意識日記々

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いわば聖域、まさに聖域

さて宇多うたアルバム二巡目。どういう順番で話を進めればいいのか、いいアイデアが浮かばないので、差し当たって"逆順"で辿り直してみようかと思う。途中で気が変わるかもしれないが。

全13曲に1回ずつ触れてみて、あの書き方では"最も評価が低い"と受け止められても仕方がなかったのがジャム&ルイスwithピーボ・ブライソンによる"Sanctuary"だったように思う。

勿論、あのトラックが気に入っていない訳ではない。非常に楽しんで聴かせてもらってるし、アルバムを通して聴く時に飛ばした事は一度もない。やはりこの曲で終わらなければ宇多うたではない、というところまで慣れ親しんだ楽曲である。

だがしかし、周りの人達の気合いが違い過ぎた。ある日のお昼にオファーを受けたらその日の夕方に8割方完成したデモを送りつけてしまうような、そういったミュージシャンがずらりと並んでいる中で、宇多田ヒカルへの、リスペクトはあっても思い入れといえばそれほどでもないジャム&ルイス(それも当然である、世界的にみれば彼らの方がヒカルより遥かにビッグなのだから)が手掛けたのだから。そらまぁこうなるか。

しかし、何より選曲である。Passion/Sanctuaryといえば、私に言わせれば、ヒカルの楽曲の中で最も"カバーするのに気を遣う"曲である。それはそれは熟考に熟考を重ねて挑まなければカバーとして成立しないであろう、言うなれば、完コピをしたとしてもカラオケにすらならないと言いたくなる、ヒカルの数ある名曲の中でも、言わば聖域、まさに聖域にある楽曲なのだ。

ジャム&ルイスからすれば、SanctuaryはビデオゲームKingdom Hearts II」の主題歌で、同ゲームはファンタジックなムードの中でディズニーのキャラクターが活躍する作品だから、今まで名だたるディズニー映画の主題歌を歌って大ヒットさせてきたピーボに歌って貰うのは、まさに適任だし、日本のファンにとっても嬉しいサプライズとなるだろう、という考え方だったのだろう。全く間違っていない。彼らは正しい。その正しさのまま、非常に優れたトラックが出来上がった。何も言う事はない。


実はそれで終わりなのだが、残念ながら私という人物は、Passion/Sanctuary」にことのほか思い入れのある人間なのだ。もしこの曲がリリースされていなかったら、私が今ここでこうして生きている事はなかっただろう。生きていたとしても、全く別の場所に生きていただろう。無意識日記もここまで続いてはいなかったかもしれない。それ位にこの曲の存在に、身も心も影響を受けている。そんな人間だから言うのだ。私が言わなければならない。「Passion/Sanctuaryはその程度の曲ではない」のだと。

ヒカルファンの中には、Passion/Sanctuaryを聴いてもいまいちピンと来ない、という人が結構多いと思う。それも当然の事で、ヒカルの十八番といえばPrisoner Of Loveのような泣きメロの楽曲であって、Passion/Sanctuaryのメロディーはどうにもとらえどころがなく、ふわふわとしていて具体性に欠ける、という感想をお持ちだろう。

そういった人達にとって、このジャム&ルイスwithピーボによるカバーは「寧ろオリジナルよりいいんじゃないの」と思わせるに足る優れたヴァージョンとして評価されているのではないか。

それもその筈、ピーボの歌唱技術の、特に細かい声の制御術に関してはヒカルより完全に彼の方が上なのだ。男女の違いがある為一概には比較しづらいんだけどね。その彼が朗々とダイナミックに歌い上げるのだから、「Utadaもこれくらい大きく歌えばよかったのに」と思ってしまう。なるほどである。

しかし、それはどこまでもあクマでも「Passion/Sanctuaryがピンと来ない人たち」にとっての感想である。この曲を神曲と崇め奉りお守り代わりに肌身離さず身に付けているような人間にとっては、「外した道の先を歩いても結局は袋小路」なのである。よりダイナミックに、より耳を引くように歌い上げれば歌い上げる程、Passion/Sanctuaryの本質から離れていく。最初っから"ここ"にある曲なんだよ、と私は私は念を押さなくてはならない。


そういった"乖離"を、誰よりも理解していたのは当然の事ながら宇多田ヒカル本人だ。Passionの発売時、ヒカルは「このままだとシングル曲としての体裁を取れない」と悟り、「Passion - Single Version - 」を制作した。本編のメロディーにはピンと来なかった人々も、「最後の年賀状パートのメロディーは印象的だね」と溜飲を下げた。こここそが宇多田ヒカルの真骨頂だ。抽象的な楽曲を好む人にも具体的な楽曲を好む人にも両方に気に入って貰える曲が書ける。凄まじい才能と気配りだ。並べると響きがおもろいな、凄まじいと気配りって。

手法は全く異なるが、クリスマス大好きっ子にもクリスマス大嫌い人間にも両方に気に入ってもらえる歌詞を搭載したCan't Wait 'Til Christmasも素晴らしかったし、たった一言のツイートで原発推進派(?)からも原発反対派からも一目置かれた事もあった。必ず両側のどちらにも振り切れる人だ。このSanctuaryのカバーにしても、「あぁ、こっち側に重心を置いたのね、それはそれでいいじゃん。」と思っている事だろう。彼女はどちらにしろ中心なのだ。


…流石に今回は長くなり過ぎてしまった。ここらへんで中断して、続きはまた次回以降に譲るとしよう。力入りすぎなんだってお前はよー全く。