無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

結構本気。

前回からの続き。私は勿論、卓球の選考の話をしているのではない。情報流通の致命的な崩落の予兆ではないかと危惧しているのだ。縮めていえば「良心の崩壊」である。

誰かが自分が得する為に情報を操作するのはまだいい。本当に問題なのは、自らを価値無き者と見積もる中でどんどん周囲を巻き込んでいく事だ。

21世紀は自爆テロと共に始まった。国と国との戦いではなく、地球上のあらゆる場所で内側から崩落していく恐怖と戦わねばならなくなった。誰も生き残るつもりのない戦いを仕掛けられたら"勝ち目"はない。


敢えて話を大きくしてみた。今回の件が私に与えた心理的インパクトの表現である。

情報が是正されず劣化に加速がかかる一方であるならば、有名人は真剣に生き方を考えねばならない。私は今、かなり真剣に、宇多田ヒカルは一切のマスメディアへの広告を止めるべきではないか、総ての取材を断るべきではないかと考え始めているところだ。この国から出て行くのも一案である。

我々平民からは考えられないレベルの話だが、有名人になると弔いの歩みさえ物理的に阻まれるのである。そもそも、この国の、国レベルでのマスメディアに居る人間は、個々としては常識人なのかもしれないが、組織や集団を単位とした時、元々からして全く一般人的常識を持ち合わせていない。

だが、彼らには"公"という建て前があった筈である。建て前というのは、見栄や世間体が機能している社会では超強力である。原動力と言っていい。良心の崩壊は、それをあっさり崩し事態を暴走させる。水流のようなもので、一ヶ所でも堰が破られれば誰も止められなくなるだろう。

何をスポーツニュース如きで、と思われるかもしれない。逆である。こんな些細な事ですら修正できないのならもっと重大な問題ではもっと難しい。

些細な、誰でも出来る簡単な事を人にやらせるのは恐ろしく難しい。今回必要だったのは、インターネットでJTTAにアクセスして選考基準を確認する事と、ITTFにアクセスして女子ダブルスの世界ランキングを確かめること。たったこれだけなのだが、それをした人がごく僅かであり、しかも、これこそが最も危ういのだが、その僅かな人々の声が全く拡大されず収束した事だ。どれだけ他愛のない話題だろうと、事実誤認は事実誤認だし、誤解は誤解である。記事の中に各ペアの世界ランキングを掲載するだけで、読者の印象はガラッと変わる。本当にそれだけなのだ。初動において混乱があるのは仕方がないが、この話が出て1ヶ月である。寒気がする。


これからは、あらゆる情報に気をつけねばならなくなるかもしれない。まだ、重要な話題なら、いい面もあるかもしれない。良心の砦みたいなものが最後まで機能してくれる期待も持てなくはないのだから。だったら今すぐ機能して欲しいんだけど。

げいのうじんはそうはいかない。歌手の嘘ゴシップなんて誰も気にかけんぞ。それどころか「有名税なんだから我慢しろ」と支離滅裂な事を言われる。これらを防ぐには、国レベルのマスメディアとは一切縁を切るしかない。

しかし、難しいだろう。商売上というより、単純に、ヒカルにメディアの友人や知り合いが居るだろうからだ。彼らと"縁を切る"だなんて、きっと出来ない、彼らの職業が何であれ、その前に一人の人間として友人であるならば。友情に職業なんて関係ないでしょう。

やっぱり、国ごと捨てるのがいちばんかなぁ。ヒカルなら立場的にはあっさり出来るだろう。やって欲しいかと言われればやって欲しくないが、背に腹は変えられない。この国の情報劣化合戦からどうやって逃れるか、また次回考えるわ。