無意識日記々

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歳声

元々私はヒカルの歌声の声色を特別好んでいる訳ではない(喋り声は特別好んでいる)が、もう最近はこの歌声を聴くだけで自然と安心してしまうようになった。あの声のホッとする感はまるで毎日飲むお茶の如し、だ。

習慣によって身についた習性とでもいいますか、第二の天性といいますか。好みというのも後から積み重なるものだなぁと。パブロフの犬と言ってしまえばそれまでだけど。

ヒカル本人はどう思ってるかというと、小さい頃友達のお父さん(有名な演歌歌手)に声を咎められて傷ついたとかで―たぶん、言った方は声色があんまりにも藤圭子に似ていたもんだから癪に障ったんだと思うが―複雑な感情を抱いていたようだが、恐らくデビュー後はスタジオでの三宅彰's「もう一回」攻撃を受け続けて、或いは自分でプロデュースするにあたり何度も自分の声を聴き直していくに従って自分の声に慣れていき、好き嫌いなんて言ってられなくなっていったんじゃないかと思う。

となると、もし他人のプロデュースをしてその人の声が気に入っていたら、自分で歌った曲と違って完成後もプライベートで聴いたりするのかな。ただ、他人の、それも歌手のプロデュースとなると「自分で歌った方が早い」って事になるかもしれん。この妄想の前提が、結構危うい―そもそも他人のプロデュースをするかどうかというのが。

ただ、上でも少し触れたが、ヒカルの歌声の声色は随分とお母さんに似ていて(歌い方はかなり違うが)、自分でそれを感じる事はないのかな。そして、30代の今の時期は、お母さんがその年齢の時にはあまり歌ってなかった頃なんじゃなかろうか。踏み込んで言えば、自分の歌声を聴いてお母さんの事を思い出したりはしないのだろうか。ないかな。わかんない。歳をとると顔が親に似てくる、とは言うけれど、歌声に関してはどんなものかな。そのうち意識する時期も来るだろう。ヒカルには、お母さんが歌声を残していない年齢でもバンバン歌って貰って歌声の記録をどんどん残していって欲しい。将来娘に「あなたの年頃の頃、お母さんはこんな声だった、おばあちゃんはこんな声だった」って聴かせてあげられたら素敵じゃないっすか。