無意識日記々

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杞憂ではない本当の不安は結局コレ

ここ2週間ほど"杞憂"の数々を書き連ねてきてみたが、その殆どは"自分以外の代弁"のつもりだった。特に、活動場所として日本が除外される、或いはそこまでいかなくても"来日"しかしない事態なんかは懸念でも何でもない。普段会ってる訳でもないのだし、ライブは行ける距離であれば地球上のどこでやって貰っても構わない―そう思えるのは私だからであって、読者の大半はそうは思ってないわな。まぁそんな私はWILD LIFEは自力で当てて交通費0円という圧倒的に恵まれたシチュエーションを味わっているので「お前は何を言っているんだ」状態ではあるのですが。

いやそんな話はいいんだ。歌は日本語でも英語でもいい、ライブは行く、と言い切れる私はUtada Hikaruファンとして最も幸せなパターンである。日本のファンの殆どは日本語で歌って貰いたがっているし、日本以外の国々のファンは「ワールドツアーはよ」と思っている。どちらに転んでもどちらかに不満や寂しさが残るのだ。

音楽性についてもそうだ。もう2年も5年も前の曲なので参考になるかどうかは最早定かでも何でもないが、GBHやSMLNADやCWTCや桜流しでの私の"はしゃぎぶり"からしても、もう完全に「次の新曲なんだろな。わくわく。」状態である。なかには、「次の曲は気に入れるかな…」と不安になっているファンも居るだろうにな。

宇多うたアルバムにしてもそうだ。勿論今でも、というかこれからも愛聴させてもらうアルバムになったがそれもこれもヒカルの書く曲が好きという基本があるからだ。「ヒカルちゃんの歌声でないと」と歌手・宇多田ヒカルに重きを置くファンは余り楽しめなかっただろう。残念。どんだけ聴いても井上陽水の凄さがだな…。

うーん、私って実はヒカルからしたら「望ましくないファン」なんじゃないかという気がしてきた。書いた曲によってファンひとりひとりの反応が違うのをヒカルは楽しみにしているんじゃないの。「今回の新曲は、あの人はダメかもしれないけど、あの人は気に入ってくれるはず!」みたいな事考えて曲作ってるんじゃないの。だとすると、何をしても喜んでる私はイエスマンと変わりがなく、いちばん反応が参考にならないのでは…。

まぁそれはしゃあないか。

なので、私の杞憂には切実さやリアリティが無い。仮想的なものなので。ただひとつ、今回真剣に加わったのは「マスメディア不信」であり、こればっかりは杞憂ではない。ここは本当に真剣に考えなくてはならない。

他の国のメディアだって、とイタリアの記事を読んで思ったが、まずは日本でどうするか。出来れば、まず新聞社との縁は断ち切りたいのだが、無理だろうなぁ。露出は音楽誌だけ、と決めるのは多分不可能で、「あれもこれも」が現実になる。何とかならんか。

32歳以上のバツイチ再婚女に果たして今後需要はあるのか、というのもあるのだが、多分ある。いや、だからこそある。一度以上ゴシップに絡め取られ、知名度にかげりがない存在なら必ずやまた餌食になる。弔いの移動者に立ちはだかられるだなんて、常識的に考えたらトラウマものである。普通の人間はそんなことしないよ? できないよ? 車の中に居るとはいえ周囲をゾンビに取り囲まれたようなもんだ。マスメディア不信になったとしても私はヒカルの心が弱いとか一切思わない。どう申し開きしようとも、言い訳なんてできないよ。

何かいい方法はないものか。その点についてだけは、杞憂の代弁ではないので、引き続き考えたい。レコード会社がYoutubeチャンネルやニコ生チャンネルをもってそこでインタビューやらPVやら流す番組作れば十分な気がするんですが、無理かねぇ…。いやその番組やる事をテレビや新聞で告知しないと、ってなるのかな。いやそれはHikaruがツイートすりゃ十分であってだな…

あーわからん。マスメディア恐るべし。ここから逃れる術はないのか。こうやって過去の人たちは戦争に巻き込まれていったのかと思うとなんだか同情してきたわ。確かにこれはどうしようもないわい。それとこれとは関係ないけれどなっ。