無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

三つ子の魂を超えるもの

気が変わった。折角なのでLR11位以下はもっとゆっくり見ていく事にする。普段自分は人気というものに疎いし、何だかんだで自分の好きな曲に話が偏りがちなので、普段あまり触れる事の無い曲の話をするいい機会だ。そろそろ年度末というのもキリがいい。1月2月は復帰を睨んで抽象的な心構えの話が多かったのでまた過去の曲を振り返るモードに突入しようかと思う。

そうね、確かに「私の好みの偏り」というのは大きいな。私は必ずしもヒカルの書く曲総てが好きな訳ではないし、何より、何と言うのだろう、土壌みたいなものが違う気がする。気風というか風土というかルーツというか、兎に角音楽的嗜好の土台みたいなもん。

それをいちばん痛感するのが、Hikaruがよく使うあの四つ打ち系の打ち込みリズムだ。毎度書いてる事だが、EXODUSのOpeningに無くてCrossover Interludeにあるあのリズム・セクション。Hikaruはまずここから曲作りを始めるんだろうなぁという土台、基礎となるリズムとサウンドである。これを聴く度に「このグルーヴは自分の身体感覚にないなぁ」と痛感するのである。Hikaruと私では、そもそものフィーリングが異なっている。

私の音楽的ルーツは非常にわかりやすく、幾つかの有名曲にて端的に集約される。幼稚園児の頃好きだったなと今でも思い出されるのはザ・ビートルズの「オブラディ・オブラダ」(の多分日本語カバーが先だった筈)、メリー・ポピンズの「チムチム・チェリー」(これもこども向けに翻訳された日本語曲だったろう)、そして皆さんお馴染みドリフターズの「ヒゲのテーマ」(これの元ネタがテディ・ペンダグラスの"Do me"だと知るのはずーっと後のこと)といった楽曲たちだ。どれも基本は洋楽でありつつ、それぞれに日本人のこどもに親しみやすい設えが施された曲たちだ。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、未だに私は陽気なメジャー・コードの8ビート・ロックンロールや、マイナー・キーのワルツ曲にはそれだけで反応してしまうし、ヒゲダンスのようにバキバキベースラインがリフレインしまくって曲を引っ張っていく楽曲には身体ごと反応してしまう。Led Zeppelinの"Dazed And Confused"やBlack SabbathやIron Maidenの諸楽曲でベースがブリブリ嘶き始めると居てもたってもいられなくなるし、マイナーキーのワルツとくればIn FlamesZabadakの必殺技である。この歳になっても3〜5歳の頃と身体感覚が変わっていないというのもどうかと思うが取り敢えずそれが事実だ。

Hikaruの曲には陽気なエイトビートのロックンロールも哀愁のワルツもない。あれ、3拍子の曲自体一曲もないかも!? その上、ベースラインが先行して引っ張っていく曲も作らない。甘いワナは数少ない例外のひとつだが、編曲者はHikaruではないのであれはHikaruのアイデアではないだろう。兎に角、リズムに対する感性、音楽の土台に関する身体感覚が全然違うのだ。

だから、多分、これからも一生発表される事はないと思うが、Hikaruが手癖だけで作った楽曲だと、私は全然ピンと来ないと思うのだ。カイ・ハンセンが過去の焼き直しみたいな楽曲を発表しても「もう、しょうがないなぁ」と言いつつも笑顔で愛してしまう私だが、Hikaruの場合はそうはならない。あクマで、ある程度突き詰めて洗練されて質が高くなった楽曲にこそ、興味が出てくる。一言でいえば、ファンとして、リスナーとして、Hikaruというミュージシャンと"なれ合う"つもりがサラサラ無いのである。だからこそ、私は自分がHikaruの曲を高く評価する事に意味があると思えるのだ。

…という訳で、そういう観点からLR11位以下について、来週は色々とコメントしていきたいと思いますよと。