無意識日記々

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“しかし、気にしないことだ。”

2011年3月以降、時々枕が長すぎて「本編はまた次回」みたいな事になるケースが多々あるのだが、これって案外枕の方が読者受けがいいんじゃないかと自分で何となく判断してしまっているからかもしれない。まぁ特段リアクションを何人からも貰った事がある訳ではないので"感覚"の話に過ぎないのだが。

毎度、「Pop Musicは市場との相互作用で生まれる」という論を展開している。音楽はPop Musicである必要はない。自主制作で作ったアルバムを通販やライブ会場での直売でのみ売るような形態もあり、そんなやり方で売ったアルバムがとんでもない名作で、普段メジャー・レーベルから出ている音楽を山ほど聴いているような人間にも感銘を与えるなんて事もある。ZABADAKの「夏秋冬春」の事なんだけれども。

だから、別にHikaruが音楽を作るのに"市場と向き合う"必要があるとも思ってないし、そうして欲しいとも思っていない。また、そうして欲しくないとも思っていない。ただ、ヒカルが今まで(といってももう2年も5年も前以前の話になるんだけど)そうしてきたからこれからもそうするんじゃないか、だとしたら…という話をしているに過ぎない。Hikaruに期待する事といえば健康であって欲しいとか幸せであって欲しいとかそっちになるので、それの邪魔をしなければ音楽性は何でもいい。

で。Pop Musicを成立させる為にはメディアの力が必要で、それが今や頼りないんだけどHikaruどすっぺ?…という話の順序である。日本で活動するならマスメディアは、とか、或いはもう海外を拠点に、とかは、そういった"外部環境の変化"によるものを勘案した上での提案だ。なので、環境が改善されれば、或いは、私が推測している程実態が悪化していないなら、今まで通りの活動形態でいいんじゃないかという結論になる。肝心なのは、誰に伝えたくて、何を使えばよいか、誰とやっていけばいいか、だ。

例えば深夜アニメを継続する為にはいちもにもなくファンが円盤を買う事だ。半年間毎月出る5000円も6000円もするDVD/Blurayを5000人以上の人がコンプリートしてくれれば2期、3期と継続していける。だから、極端な話、作り手はその5000人とかの期待に応えられるものを作ればいいのだし、作らなければならない。勿論いい面ばかりじゃないけれど、誰に対してクリエイティブであればいいかがかなり明確である。「あなたたちの為に作りました」と胸を張れるのだ。それだけじゃあいけないと、どちらもわかってはいるけれど、取り敢えずな。

Hikaruみたいなポジションだとそういう"みえる顔"みたいなものを何処に設定するかが難しい。スタンスが独特だから、極端な話、アニメで円盤を買うような"熱心なファン"の意見は寧ろ黙殺しなければならない。自分で言うのも何だけど、全然音楽活動していないアーティストに対して毎日々々「まだかな、まだかな」と言っているような人間は異常であり少数派であり、こんな奴らの"偏った"意見を聴き入れていたらPopsなんて作れない。しかし、実際にHikaruが何をリリースしても買う、コンサートのチケットを買い漁る、などをして収入のベースを作っているのは我々だ。未発表音源のひとつも入っていないくまちゃんUSBを買うような酔狂な人間がここにはわんさといる。「2個まで買えるのなら」という理由で2個買ったヤツまで居る。もうね、アホかと。…すみません私です。

ここの"ミスマッチ"を、我々は覚悟しておこう。深夜アニメ・ファンとは違い、我々がどれだけ貢いでもヒカルがみるべきは、マスメディアを通した"大衆"であり、また、Pop Musicianであろうとするなら、そうでなければならない。くまちゃんUSBを買ったバカ者たちは、苦笑して一瞥一例して目も呉れぬべきである。まぁヒカルのこったから実際はそうしないんだが、だからこそ覚悟の話をしているのだ。見返りを求めるな、冷笑を受け止めろと。それ位のつもりで、毎日働いて稼いでヒカルにいそいそと送金するのです。深夜アニメ・ファンのように、イベントに優先的に参加できて「我々が買い支えているんだ」と誇りをもつような事は出来ない。我々からの送金でたとえ次作を作れる資金が得られたとしてもきっと何のモチベーションにもならないだろう。しかし、気にしないことだ。ただそうしたくてそうしているのだから。マニアの愛情なんていつの時代も空回りである。だからこそ、たまに期待に応えてくれたら嬉しいのです。それがヒカルの
自由を作るのだから。