無意識日記々

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音楽と言葉

Deep River +"とか"BLUE+"とかはこっちが勝手につけた名前で、要は両方とも朗読付きだ。前者がUH3+に収録されていてその+の部分が詩の朗読だろう、というノリである。あれ、正式名称だっけ? まぁどっちでもいいや、便宜上であれ何であれ、ここではそう呼んでいる。BLUE+は常田富士男の朗読付きで、BayFMのON8で放送されたものだが、今でもきっとヒカルの家宝だろう。言うまでもなく素晴らしい。

ヒカルは朗読にこれ以上興味が無いのだろうか。ただの好みの話をすればヒカルの歌声より話し声の方がずっと好みな私にとってヒカルの朗読は、非常に、聴いていたい。また詩を書かないだろうか。いや、そりゃ歌ってくれた方が嬉しいんですけどね。

例えばヒカルがサウンド・トラック・アルバムやインストゥルメンタル・アルバムをリリースしたとしても、英語詞盤同様、日本のヒカルファンの食いつきは悪かろう。しかし、同じ器楽演奏作品でも、トラックに日本語で朗読が載っていれば少しは食いつきがよくなるかもしれない。

勿論、だったら歌っちまいなよ、というのも頷ける。或いは、トラックのスタイルによってはラップ・アルバムを作るという手もある。英語なら兎も角、日本語でヒカルがラップというのは想像もつかないが、それはそれで面白いものが出来るかもしれない。

と、こう書いたら「いや、宇多田ヒカルには普通に歌って欲しいなぁ」という声が聞こえてきそうな気がした。16年経って、いつの間にかリスナーの側が保守的になってやしないか。デビュー当時なら、ヒカルがラップと言っても、話題にはなっても抵抗は少なかったんじゃないか。いや当時は何やっても話題にされてたんだけどね。ベテランで、周囲から邦楽の良心として期待されている中で"羽目を外す"のは相当に難しいかもしれない。

ヒカル自身は、案外ラップに興味がないかもしれない。Notorious B.I.G.を詩人として絶賛している一方、自身の作曲したBlow My Whistleではラップ部分は総てFoxy Brownに任せている。やったら出来るだろうにねぇ。

ただ、確かに、今頃ラップをやっても「血迷ったか」と言われそうだわな。もう今は2015年なんだし。それだったら朗読の方がまだマシか。


いや、こんな事を書いてるのは、一度Hikaruにインスト作品を作ってみて貰いたくて、でもフルインストアルバムだなんて現実味が薄くて、そんな中で少しでも実現可能なものはないかとあたふたしてみてる、というだけの事なんだが。宇多うたアルバムへの反応から考えると、ファンからすれば、楽曲と歌声が一体化しているようで、即ち、ヒカルが歌を作って自分で歌うまでが一塊だと認識されているのだなと。ならばインストアルバムなんて需要僅かなんだろうなと。そんだけ。

まぁいいさ。確かに、映画のサウンドトラックとか作ってる暇あったら歌えよ、という気持ちもわかるし。あたしゃただトラック・メイカーとしてのUtada Hikaruを高く評価してるってだけで、歌が載ってようが載ってまいが構わない。その中で朗読だったらヒカルの喋り声や囁きや呟きが聴けて嬉しいなと思っただけだ。人生長いよ。何が起こるかわからないさ。