無意識日記々

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The Last One Push

前回の日記ではまるでサザンがピエロか何かみたいな扱いをしてしまったが(とはいえ彼らもすすんで道化役を演じる方ですけれど)、ヒカルが彼らにとてもかなわない点がひとつある。

彼らの新譜「葡萄」は先述の通りこれでもかこれでもかと幅の広い作風の楽曲が詰め込まれた作品で、次はどうくるかああこうきたかの連続で観賞は進んでいくのだが「さぁもうこれ以上何が来ても驚かないぞ」とこちらの気持ちが固まりかけたかどうかの10曲目に原由子のボーカル曲が来るのである。やられた。すっかり忘れていたわい。サザンといえば原坊の歌だわな。そりゃ来るって。

ここなのだ。アルバム一枚作るというのは。天才が1人居ればアルバムの8割までは独力で仕上げられる。そこまでは(比較的)スムーズに行くのだ。問題はそこからの1割2割。「九十九里を半ばと思え」とはまさにこの事かと。そこから更に今までと同じ位の苦労が待ち構えている。

Hikaruでいえば、EXODUSがそうだった。あそこまでセルフ・プロデュースに(結果的に、かもしれないが)こだわっておきながら、最後の最後にTimbalandのヘルプを得た。アルバム制作というのは難しいもので、曲数の多寡ではなく、10曲だったら最後の1曲、20曲だったら最後の2曲という風に、全体のバランスを考えた上での最後のピースがいちばん難しいのである。

サザンの場合、そこに原由子が居る。桑田佳祐のソロとのいちばんの違いはそこである。他のメンバーやスタッフの貢献度も勿論あるが、彼女の場合歌声という最もわかりやすいファクターでサザンの"貌(かお)"の一側面を担っている。だからサザンは強いのだ。

ソロ・ミュージシャンであるHikaruの場合、その都度その"最後の一手"を探す必要がある。アルバムでもライブでも、どこかで他者の視点が必要なのだ。Popsであれば尚更である。自分独りで作って自分独りで観賞するならいいかもしれないが、第三者の耳に触れる以上、客観的にみたバランス感覚はどうしても必要となる。だからバンドは作詞作曲編曲総てグループ内で賄えるとしてもプロデューサーを雇ったりする訳だし、外部ライターの曲を1,2曲入れたりする。

Hikaruの場合も編曲面で冨田"mintmania"謙のヘルプを受けたりしていた。それでもやはりHEART STATIONはほぼ独力に近い感じで仕上げていたっぽいのでそこは異常かもしれない。実際、アルバム制作最後の過程ではかなり荒れていたらしいし。(Hステに限った事ではなかったようだし、テイク5という特殊な楽曲のせいかもわからんが)

今後恒久的にオリジナル・アルバムを作っていくのならばこの"最後の一押し"問題はずっとついてまわるだろう。すぐに対策が出来るとは思わないが、外部ライターの曲とかカバー曲とか、何かそういう手法を解禁した方が、全体を通しての負荷を下げつつ良好な成果を上げるには、いいかもしれない。あとは、Hikaruの「自分の世界」へのこだわり方次第だが、そこがいちばん譲れないところだろうから、今後も随分と難しいだろうなぁ。