無意識日記々

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ラジオ妄言二年分

疲れて寝ぼけているからか、「嗚呼、明日の夜はKUMA POWER HOURか…。」と呟きたくなった。やれやれ、脳みそが二年分ずれているのか、明日はKUMA POWER HOURスタート2周年記念日だ。

今思い返しても後悔しかない。様子からすると、Hikaruが望めば番組を続行する事も出来た筈なのだが、そのオプションは行使されなかった。こちらはリスナーとして、「楽しい!もっとこの番組を続けたい!」と言いたくなってくるようなリアクションを起こせなかったのだ。もっと色んな事すればよかったなぁ。ハガキ職人になって勝手にコーナー作ってお便りを送りつけるとかすればよかった。番組が終わって1年以上経つが、後悔しかない。

もっとも、ほどなくしてピーター・バラカン氏が"おりて"しまったのだから、その時点でKUMA POWER HOURも宙ぶらりんになっていた可能性も高い。そういう意味では、引き際の選択としてはベターであったという事も出来る。或いは、そういった氏の空気を事前に察知した上での、だったかもしれない。そう思いたがるのは、もしそうだったら自分の後悔も少しは軽くなるだろうという欲目でしかないのだが。

ラジオ番組といえば、多くの人たちがこの4月の改変期を乗り越えられて喜ぶ声を聞いた。皆頑張っているのだ。まぁそれはそれとしても、僕の中では一年間、それも10回に満たない回数しかやっていないのに、楽しかったのかな? 楽しくなかったのかな? それが引っ掛かる。何か中途半端じゃないの。

最初っから計画的ならわかるのだ。まず一年ラジオをやってみよう。やった。終わろう。それなら納得。しかし、始めました。暫く経ちました。さて続ける事も出来ますがどうですかと訊かれて「もういいです」って答えられるもんなのかなと。まだまだやりたかったって事は無いのだろうか。

そういった雑想は、総て打ち捨てよう。ただまたラジオ番組をしてくれるのを楽しみにする。それでよい。それがよい。

何しろ、宅録を電送していただけなのだから、その気になればラジオ局なんて必要なく。UTUBEにでもアップロードすればよい。音声のみでも、よいではないか。生放送がしたいなら、今や幾らでもストリーミングの方法は、ある。ただ、じゃあやりましょうとはなかなかならない。やってみないかと誰かに言われないとね。

次は、音楽番組でなくたってよい。「徹子の部屋」みたいに、ヒカルが会いたい人を呼ぶ番組でもいいし、最近読んだ本について延々語る番組でもいい。英会話教室の番組なんかしたひにゃ爆発的な人気を得るだろう。いや、どんな番組だって冠に“宇多田ヒカルと英語で学ぶ”とつければそれだけで聴取率倍増だ。倍率ドン更に倍である。最初っから二倍しとけよ。(←とても伝統的なツッコミ)

色々ミックスしてもいいぞ。ラジオの特性を活かして、英語で料理番組。レシピを英語で喋って貰って、その通り作れるかどうかをはかるのだ。英語のリスニングを鍛えつつ、上達すれば美味しい料理も手に入るという画期的な番組。テレビではこうはいかない。出来れば、生放送がよい。リアルタイムで料理を作りながら、その作り方を英語で話してもらう。ちゃんと聞き取りながら作れれば、番組が終わる頃には料理が出来上がっている、という寸法。これ、前の回に次回に使う食材と調味料と調理器具を予告しておく必要がありそうだな…。

…この企画の一番の問題点は、これ別にヒカルでなくてもいいってこと。うちらはそりゃ楽しいけどね。いやはや、何考えてるんだ俺。題して、CooKUMA POWER HOUR―いやタイトルとかいいし。まぁ兎に角、ヒカルのラジオ番組ならいつだって楽しみである。