無意識日記々

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世界卓球個人戦開催中ですが

美宇美誠凄いな〜。特に、福原が負けた為、美誠に上位進出のチャンスが巡ってきたのは大きい。

福原の実力は大体世界ベスト8程度なので今回の敗退は取りこぼしといえる。一方美宇美誠の2人は実力でいえばTop40程度、素質でいえば世界ベスト4レベルだ。将来2人揃ってオリンピックに出られたならば、半分以上の確率で銅メダルを獲得出来る事が期待される。いやはや、とんでもない才能である。

2人の特徴は、福原に較べて全体のプレースタイルの設計が優れている事だ。一言で言えば、旧世代に較べてアップデートされている。ただ能力が優れているだけでなく、過去の財産から更に学習して現代的なスタイルを作り上げている。


商業音楽にも、かつてはそういう側面があった。旧世代の思い込みや慣習をあっさり打ち破り、悪弊を改善して前に進んでいく気概があった。今はそれがあまり見られない。ド派手に新しいジャンルが生まれなくなった事が大きいだろうが、21世紀はどうにも低迷している感覚が否めない。


Hikaruの場合、そんなに流行とか最先端とかのアイデアを取り入れずにここまで来ている為、作風として古びるとかいう事は少ない。せいぜいマスタリングにその痕跡が残る程度だ。だからといって前進していない訳ではない。ならば、どうやって…と考えるところだがまずは「過去の自分の作風を省みてそこから始めている」というスタンスが思い浮かぶ。

自分を素材と土台にしてまた新たな自分を作っていく究極の自給自足スタイル…と思ったが、そういう側面もなくはないものの、完全にはしっくり来ない。Hikaruの場合、デビュー以来の百曲程度を作るにあたってボツにしたのが金閣寺一曲、というくらい一曲々々丁寧に作り上げる。従って、完成した楽曲に対する満足度は相当のものがある筈だ。あまり"省みるべき点"が残っているようにも思えない。せいぜい、"あぁ、このアイデアはもう使っちゃったのか、次は使えないな"と可能性を除去するような消極的な貢献をするくらいだろうか。

とすると、Hikaruの"成長"って何だったのだろう、と立ち止まってしまう。毎度言っている通り、似通った曲調を二度作らない人なので楽曲の"優劣"は判別しづらい。ひとつのミニジャンルの最高傑作を作ってはまた新しいミニジャンルを、という前進の仕方をしてきたのだ。

とすると、非常に単純に、バックカタログ全体自体がHikaruの成長そのものなのかという気がしてくる。今作った曲が昔作った曲に較べてどうのこうのというより、作った曲の集合が大きくなっていく過程自体がHikaruの成長の記録なのだ。そう考えたらスッキリした。つまり、Hikaruは常に"全体"という作品の制作中なのである。過去は常に"今ココ"に存在していて、それらはひとつの塊であり、お互いを比較し合うようなものではないのである。シンプルに、曲数の増加自体がHikaruの成長なのだった。嗚呼次の曲が待ち遠しくて堪らないわよ。