無意識日記々

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これからのくまちゃん

くまちゃんという人格(熊格)をどうするか、というのも今後の課題である。勿論最良の解答は「今まで通り」一択なのだが、余計な心配をすると、30代にもなってぬいぐるみと戯れているのはどうなのかとかいう雑音はどうしようかとなる。

それを(我々にとってはあまり意味がないが、社会的に)はねのけるには、やはりこどもを育て始めるのがいちばんだろう。こどもも交えてくまちゃんと会話を繰り広げればグンと幅が広がる。彼なり彼女なりがノリのいいガキである事が条件だが。その前にキコがこのノリについてこられているかどうかの方が心配か!?

時期的にみても、くまちゃんと出会ったのは大体前の結婚の関係が冷えていた頃になるだろうから、そこに現れた救世主だったという見方がオーソドックスだ。実際は自己救済だが、古びた表現を用いればそれは"イノベーション"だったという事だ。"発明・発見"でええやんな。

ならば新しい家族が出来て埋め合わされた空虚はもう…と、なろう筈がないので、くまちゃんはずっとこのまま家族の一員だろう。ただ、くまちゃんの言葉の代弁者としてヒカル以外が出てくると話がややこしくなる。くまちゃん多重人格化である。

それはそれでいいような。こどもがくまちゃんをいたく気に入って独占した時ヒカルお母さんはどんな反応をするだろうか。優しく見守っているのかムキになって奪い返しにいくのか。おとなげねぇな。幼いこどもは扱いが粗いので、タイミング次第だろうかな。こどもの成長は早いのだ。

くまちゃんのおうた第2弾に期待するのは贅沢だろうか。次は「くまちゃんの子守歌」。私の中ではニーズ爆発なのだが、今幼子を育てている人やこれから生む人にとっては爆発どころの騒ぎではないだろう。ある日突然しれっと"みんなのうた"から流れ始めたりしたらさりげなすぎる復帰劇になるけれど、流石にそれはレコード会社としては得策ではないだろうな。世界契約をもつトップ・アーティストなのだから。なんだか、勿体無いねぇ…。