無意識日記々

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『歩けないけど踊れるよ』??

……なんていう風に「リトル・マーメイド」のサントラを聴いていると、『君に夢中』の『人生狂わすタイプ 許されぬ恋ってヤツ わかっゃいるけど君に夢中』とかいうの、それこそ王子様に恋をしたアリエルの心情にも聞こえてきていやぁそれは別に「リトル・マーメイド」に限った話ではないだろと自分で自分にツッコミを入れたり。どうしてもあれもこれも繋げて考えてしまう。

『ともだち』の『いやそれは無理』のところで急に台詞口調に変化するのもミュージカル的な発想だったのかな、アリエルもスルッと「oh...feet?」とか首を傾げたりするしなとか、だったらそもそも『俺の彼女』なんかは歌詞全体がまさにミュージカルそのものだったんじゃないかなとか、『ぼくはくま』の『歩けないけど踊れるよ』ってフレーズ、レトリックや隠喩でないとすればまぁ不思議な歌詞だと思っていたけれどこれが人魚のことだとしたら確かに歩けはしないけど海中で踊りまくってますわねとか、あれもこれもそうなんじゃないかと思いを巡らしてしまって、いやいやアンタどこまで行く気やねんと自分で自分を戒めてみたりみなかったり。

でも、そうね、それでも『人魚』に出てくる『水面に映る花火を追いかけて 沖へ向かう人魚を見たの』の一節に関しては、『リトル・マーメイド』にほぼそのままの場面が出てくるからこれに関しては実際にインスパイア元なのかもしれないわね。サントラにも「Fireworks」っていう曲あるしな。2013年を乗り越えて息子を出産、さぁ音楽活動を再開しようかと考えたときに最初に書いた『人魚』が、6歳の時に聴き込んだ自分のルーツとなる作品である「リトル・マーメイド」のサウンドトラックへのリスペクトから生まれた曲なんだとすれば、これほど宇多田ヒカルの再スタートに相応しかった曲もないわけでね。まさにヒカルにとって「初心」そのものだったのではないかなという。

…こういう想像を巡らし続けているとどこまでが本当でどこからが言い掛かりなのかわからなくなってくるのでそろそろ本人のコメントなんかが欲しいとこなんだけど、昔の曲に関しては今まで触れてこなかったようなポイントについてはこれからも言わないかもしれなくて。『ぼくはくま』についてはワンフレーズだけの話でうた全体はもちろんくまちゃんのことがメインになってるんだけどそれでも幼いヒカルのこども心に「リトル・マーメイド」が「歩けるのは尊いことなんだ」という観念を植え付けてた事はあったかもしれないなとか、そういう、そもそもヒカル自身も自覚してなかった領域なんかもあるかもしれないので、こうやって思いついた事はつらつらつらつらと書き留めておくのがいいのかなぁと。それらが実際のところどうなのかというのは、追々わかってくることもあるでしょうから。ひとまずは、『君に夢中』を聴きながら、今回こうやって直にメロディーを引用するに至った背景に関して各自色々と自由に想像していくターンなんじゃないですかね今という時期は。