無意識日記々

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本当に射止めるべき世代は

JUDY AND MARYの“くじら12号”を聴きながら、「90年代後半は特殊な時代だったなぁ」と改めて痛感した。彼らは敢えて売れ線を狙い東京ドーム公演にまで上り詰めた"成功者"だったが、特にメンバーが情熱を注げる音楽性ではなかった為程なく解散した。しかし、“そばかす”等数々の名曲を残している。今はどちらかというとアニソンのひとつとして紹介される事も多いのだけれど。

当時は、自身の音楽的嗜好を犠牲にしてでも売れ線狙いに賭けられる程の規模の"市場"があったのだ。作曲職人が狙ってヒット曲を作れる時代。広瀬香美なんかあざと過ぎて鼻につくくらいだったが、それでも売れてしまうのだから、そりゃあ作るわな。

今はそういう"市場"がないから、職人たちはゲームやアニメの曲を作っている。新しい世代の職人たちはボカロや同人出身だったりする。時代は変わった。今の時代を象徴する作曲家はときかれたら「梶浦と澤野かな…」と答えてしまいそう。朝ドラの音楽まで作ってしまうとか。いやはや。

西野カナなんかは随分とこちらからみてもわかりやすく、"古典的"とすらいえる。自分の世代の語彙で乱暴に形容してしまえば"浜崎あゆみaikoのちょうど中間くらい"を狙っていて実に巧いと思うのだが、なんだか中規模のヒットにとどまっている。いや1位はとるんだからやはり市場自体が縮小しているのだろう。あの世代の彼らはもう音楽をあまり買わなくなっているのだ。それより更に若い世代はYoutubeが地上波テレビと同列だろう。いつでもどこでもタダで動画と音声が手に入る世代だ。

でも、実際に本当に対処しないといけないのは、90年代後半に市場を形成していた"元若者"の世代である。彼ら(いや、私たち、か)をつなぎ止め切れなかったのは何故なのか、そして、ある程度呼び戻す為には何をすれば有効なのか、そちらを突き詰めておかないとそれより若い世代にアプローチしようというエネルギーも生まれてこない。一体何が変わって何が変わっていないのか、それらと音楽にはどういう関係性があるのか。そろそろ時期的に90年代後半に活躍した人たちの様々な"20周年"がやってくる。その記念企画たちに皆がどれくらいのってくるか。結局トリはあゆとヒカルのデビュー20周年になるのだろうが、それまでに趨勢を見極めておきたいものである。