無意識日記々

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サーチエンジンで察知して貰う時代

有名人とは恐ろしいもので、有名になりすぎると名前だけが知られていて、例えば、「宇多田ヒカル? 名前はきいたことあるけど何してる人?」みたいな反応すら起こり始めるのが常だ。

「何をバカな」と言われそうだが、フォロワー数ランキングで未だ上位に位置しながら何も具体的な活動をせずに5年が経とうとしているのだから、そういう人が出てきてもおかしくはないと思われる。特に、名言Botなどに採用されていたりすると、そっちだけ独り歩きなんて事もあるかもわかんない。世代がかわるってなそういう事だろう。

逆にいえば、程度モノではあるが、"イメージ・チェンジ"をするには、いい頃合かもしれない。勿論我々年寄りには昔からのイメージってもんがあるからそれに囚われる訳だけど、それにしたって分別のある大人なのだから、ブランク後の変化に対しては、経験から「そういうこともあるよね」とわかってあげる事も可能である。

ヒカルの事だから、自分から敢えてイメージ・チェンジをしようとはしないだろうし、かといって昔のイメージを守ろうともしないだろう。普通に人として5年分の上積みをした姿になっているだけだ。

何しろ、我々が知らないだけで、この5年の中にだってヒカルには様々なドラマがあった筈である。かつては、何らかのエピソードがあればMessage From Hikkiを通じて教えて貰えてた訳だけど、今はそれも余り無い。ヒカルがどれだけ、どちらの方向に変化しているかわかったもんじゃない。

しかし、そういう「わからない不安」はヒカルの方が遥かに大きい。我々の方もまた5年分、変化しているからである。それに対するヒカルの"探り"は、どれだけ入っているのやら。いつもは冗談ぽく言ってたが、それこそ「私のことなんてもう誰も覚えてねーんじゃねーの」っていうのがほんのちょっぴり現実味を帯びてくる時間帯に突入しているような気はする。

とはいえ、昔と違ってインターネットを通じて"過去の遺産"にはすぐにリーチできる。Youtubeで検索すれば過去のテレビ出演だって出てくる。裏を返せば、検索さえしてもらえれば思い出してもらう事は容易なのだ。だから、仮にヒカルが歌手だという事を知らない世代が出てきたとしても、名前さえ覚えていて貰えればすぐにその事実に到達できる。今の時代、名前は何より重要なのだ。ある意味、皆の命運はGoogleが握っている訳で、恐ろしい時代になったもんだわ。