無意識日記々

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Welcome Home

えぇっと、間が空くと何が何だかわからなくなるな。構成が難しいや。

先週はオフィシャルライターの松浦靖恵さんと一緒に『うちに』の3文字に共感してたんだっけ。キーワードは「HOME」だな。

『えー、この度、うちに赤ちゃんが産まれました!』

なんのことはない、出産報告のひとことなのだが、この"感覚"は新しい。『私が赤ちゃんを産みました』でも『私に赤ちゃんが産まれました』でもない。この言い方は「家族が増えた」という意味である。どんな家族構成かは知らないが、Hikaruは既に家族の一員で、そこに更にもう1人加わる。どうやらこの感じだと、「夫婦の間に」ですらない。寧ろ、普通なら別枠で「ずっと支えてくれたダーリン」くらいの事を言ってもらえる筈のキコは今回完全に脇役だ。

世界観自体の変化である。かつてのHikaruなら、新しい生命に対して、1人の人間同士として1対1で対峙するようなイメージだった。細部は異なるが、くまちゃんとの対話のように。しかし今は、2人より多い人間関係の中で生きている。

そもそも、宇多田家自体個人主義の感覚が強い。6回結婚と離婚を繰り返す2人の間に居ては強固な「家」や「家族」なんて想像するのすら無理だろうし、その上で引っ越しばかりではもうどんな事をしても幼子は1人の人間として自立するしかなかったろう。

宗教的バックグラウンドも大きいかもしれないが、しかし、目の前に居る家族はハナから「別れる」なんていう選択肢が頭に無いのかもしれない。みんなで一緒に居るのが当たり前で、それを疑う事もない。その"感覚"の中に放り込まれた。旦那と結婚したというより、古風かつ和風に聞こえるかもしれないが、「家に入った」というのが実感だったのかもしれない。その感覚が『うちに』と言わせたのではないか。


実際のところは、今Hikaruはロンドンでキコと居るのかもしれず、大家族で暮らしているとも言えない。林檎様との会話では独りで居る時間についても言及している。30年生きてきて基本的な日々の暮らし方をそうそう変えられる訳でもない。それでも、「いつでも帰れる家」というのが想像出来るのは大きい。

もっと踏み込んでいるかもしれない、と思ったのは『父と母に改めて』という部分である。鬼籍か否かを区別しないんだな、という取り方はまず最初にあるのだが、これが、義母と義父に対しても言っている事であるとするなら、義理だのどうのだのという気遣いからも開放されて、普通に娘と親としてキコの父母と接せれているんじゃないか、というところまで夢想される。いやそりゃ普通にとればその前の『支えてくるたたくさんの人、寄り添ってくれた人』の中に含まれていると解釈するんだけどね。


そんな家族に支えられて…ならアルバムタイトルには「HOME」か「FAMILY」を入れるのが流れだよね、今しかないよね、…まで妄想が先走ったところで今回は強制終了。(笑)