無意識日記々

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手詰まらない人

ヒカルの作曲術の中で最も特異かつ稀有な点は“手詰まり”感がどこにもない事だ。

作曲家というのは大抵得意技が決まっていて、「このスタイルならいい曲が書ける」という範囲がある。その為、その範囲内を採り尽くしてしまったら、そこからは過去の焼き直しや再生産になって飽きられるか、或いは「ずっと同じ事なんてやってられないよ」と得意ではない範囲に手を出して自滅するかどちらかだ。そういう意味で、作曲家の全盛期というのは大抵短い。

ヒカルにはそういうのが無い。敢えて言えば"Prisoner Of Love"が「最も得意なスタイル」となるが、これに似た曲ってあるかな。コード進行が同じ曲はあったかもしれないがそもそもオーソドックス過ぎて取り立てて「宇多田に特有の」という程でもない気がする。

なので、この人の作曲力は読めない。明日にもネタが尽きるかもしれないし、いつまでも曲を書き続けられるかもしれない。全くわからないのである。こんな人他に知らない。史上最高のソングライターコンビであるレノン/マッカートニーも、「Sargent Pepper's Lonely Hearts Club Band」を頂点にして前後になだらかな曲線を描くように"奇跡の10年"を駆け抜けた。どこかに金字塔みたいなものがみえる。ものなのだ。

Hikaruの場合、ひたすら曲のクォリティーが上がり続けた。「頑張る」という点に関しては毎度「これで限界だろう」と想わせる一方、未だに頭打ち感は無い。「幾らHikaruでもこれ以上は」とまともに思わせないうちに次を繰り出し続けて最初の12年を駆け抜けたのである。レノン/マッカートニーとはここが違う。最も、70年代も"コンビ"を解消しなければ、更なる「二つ目の頂点を目指す曲線を描けたかもしれないけどね。

ただ、Show Me Loveの歌詞を聞けば、ヒカルには「ひとつの山を登りきったから」という感覚もあった事がわかる。しかし、残念ながらそれはこちらの実感と食い違うからだ。HEART STATIONアルバムがあって、SCv2d2があって、桜流しがある。少なくとも私の中ではこれはずっと右肩上がりだ。勿論SCv2d2はフルアルバムという訳ではないので判断が難しいのだが、これは前に指摘した通り、架空の6thアルバムを仮定して、SCv2d2はそこからの5曲だと解釈するのである。すればSCv2は4thアルバムから6thアルバムまでの3枚の作品から均等にチョイスしたシングル・コレクションだという事が出来る。その視点に立ってSCv2d1&d2を聴き直してみると、"幻の6thアルバム"の神々しさが透けて見えてくるような気がするのだ。気のせいかもしれないが。


まぁ、いい。そんなに作曲家の人生がマイルドとはいえインフレばかりとも限らない。たまにはデフレを経験しながら、全体として少しずつ上がっていけていればいい。長い目でみる。ファンの重要性はそこにある。アーティスト自身が近視眼的であればあるほど、我々はバランスをとって鷹揚に構えていればいいのだ。ゆっくりゆったりのんびりいきましょう。