無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

期待の在庫

肩の力を抜こう、と自分に言い聞かせているからには肩に力が入っている。リラックス、リラックス。

変な話だが、「宇多田ヒカルのファン」にならないように普段気をつけて生きている。まぁ無理なのはわかっているのだが、"信奉者"や"追っ掛け"になってしまうと、つまらない曲を発表した時に正直につまらないと言いづらい。一曲々々、一晩々々である。

彼女を"教祖様"と崇め奉るのは、やめたい。崇めるならくまちゃんだけでいいよ。何より、ヒカルが「裸の王様」になるのが我慢ならないのである。…女性の場合女王様と言わなければならないのかなともふと思ったけれど「裸の女王様」ってそれ完全に違うヤツになるからやめとくわな。

今年のイチローの記事をずっと読んでいて、どうにも彼も記事上では裸の王様になりかかっていて、ほんのちょっぴり気味が悪かった。漸く打率が.250を割ったあたりで提灯記事というか持ち上げるのが厳しくなったと悟っのかやっと「今年は打撃がダメだ」という論調になってきてくれてこちらも読者として落ち着いた。無論今年の彼の貢献はチーム最多となる出場試合数でありそのメンテナンス力の高さはどれだけ讃えても足りない。安打製造機としても史上最高だが、その鉄人ぶりもまた野球史上最高かもしれない。

余談が長くなった。単に私が裸の王様を嫌いだという話です。

"宇多田ヒカル"に関しても、同様である。売上高はもともと大した指標として見ていないからあまり惑わされる事は私は無い。ヒカルが「あ、この曲は売りに来たな」と思わせてくれる曲ならかなり重要視するけれど。FoLみたいなケースだね。ただ、ヒカルが作ったからとかヒカルが歌っているからとかそんな理由で絶賛するとあっという間に裸の王様の出来上がりである。あーやだやだ。

ん、しかし。「ヒカルが歌っている」というのは相当に怖い。上手いからだ。凡庸な曲でもそれに騙されてしまう可能性がある。この場合、裸の王様とは言い切れない。「下着姿の女王様」くらいだろうか(せやから意味違てくるてば)。ここを見極めるのは、確かに難儀かもしれない。

宇多田ヒカルのうた」アルバムは、その点において非常に優れた処方箋だった。誰が歌っても素晴らしい曲ばかり。定期的にリリースして欲しい、シリーズ化して欲しいコンセプトである。もっとも、この第2弾が出るという事はまたヒカルが雲隠れにし夜半の月哉になってしまう事を意味するので、痛し痒しなんだが。


ただ、結局、何がいちばん感情を揺さぶっているのかといえば「(裸の王様扱いされるというこちらからみれば)"酷く惨めな"ヒカル」を見たくない、という感情である。これ、ただのファン心理なのよね。惨めんなったらとっととそっぽを向いちゃえば終わりなのにな。

まぁ、しゃあない。今まで期待に応え過ぎてきたから。一度や二度失敗した所でこの17年間蓄積されてきた"期待の在庫"はそうそう底をつきそうにない。それが尽きるまでは、どうやったって私は“宇多田ヒカル・ファン”のままであり、裸の王様の恐怖から逃れられない。そして、復帰なんぞされようもんなら在庫はきっと増える一方で、死ぬまでの間にそれが無くなってしまう事が想像できないレベルにまで到達してしまっているに違いない。いや、もうそうなっているような気もするけれど…。

結局、私が本当はどのような心根でいようとも、周りからみれば「またアイツはヒカルのケツおっかけてるな」としか思われない振る舞いしかしないんだろうな。ふーむ、何かいい方法は、ないものだろうか…。…って、この話が次回に続いたりなんかしちゃったら結構面白くなるかな? さて、どうだろう…。