「さくら並木プロジェクト」とのコラボレーションはお見事というしかない。“花を贈る”という新曲のコンセプトにここまで見合った企画があるとはね。
まずは最初に穿った見方から始めよう。要は、散々言ってきた「握手権や投票権にまさるオマケ」として何を採用するか、という問いへの答である。まだフィジカルが発売されるようになるかどうかはわからないが、「復興支援になるのなら」という理由で買うのを逡巡していた人たちが思い切って手を伸ばしてくれるかもしれない。喉から手が出る程欲しい“最後の一押し”に慈善活動をもってきたのだ。
見方によっては、大変危険な賭けである。「チャリティーを商売の道具にするなんて」という非難が巻き起こればもう取り返しがつかない。これはもう企画を推し進める方のバランス感覚に頼るしかない。
対象として「さくら並木プロジェクト」を選んだのは、その点慧眼というしかない。この企画を今回初めて目にし耳にした人の中には、何でそんな事するんだ、桜の木を植えたって復興に何の助けにもならないじゃないか、と思った向きも多いんじゃないかと思われる。その通り。そこがポイントなのだ。
復興となるとどうしても利害関係が出てくる。なんとか利権みたいなニュースはこの5年やまほど見せられてきた。それはもう仕方がない。しかし、それにミュージシャンが乗っかるとなるともうきな臭さが出てきて止まらない。イメージアップに繋げるのは至難の業だ。
さくら並木プロジェクトならこれがない。桜を植えても大して得がないからだ。いや将来的には観光名所なども生むかもしれないが、どちらかといえば実利より「復興の象徴」としての意味合いが強い。利害関係が生まれにくいプロジェクトである。(本当は“環境問題”といういちばん手ごわい問題を抱えているのだが)
これなら、ミュージシャンが乗っかってもさほど非難は生まないだろう、という予想が立てられる。ミュージシャンに対して大して見返りがないからだ。あとは金儲け主義と謗られぬよう本気でこのプロジェクトを支援していく事が肝心だろう。この曲のプロモーションが終わった後のアフターフォローが寧ろいちばんみられているかもわからない。
となると、さて、ヒカル自身はこのコラボレーションをどう捉えどう関わっているかという話になるのだがそこらへんからまた次回、かな。ところでところてん、「ただいま」はまだかい?(笑)