無意識日記々

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ありそでなさそなぺるそなの話

もうひとつ梶さんの話で面白かったのは「ペルソナ」である。ティピカルな顧客を具体的に思い浮かべる手法。これは確かに効果的だ。

例えば、漫画家の荒木飛呂彦はキャラクターを造形する際、本編の物語に一切関係なさそうな要素まで設定しているそうな。食事のシーンは一切無いのに好きな食べ物、映画を観るシーンは一切無いのに好きな俳優などなどを事細かに決めていく。そうする事でキャラクターにリアリティが生まれ、各場面でとりそうな行動、生まれる言動が自然と浮かんでくる、と。

梶さんも同様な訳だ。具体的なディテールまでペルソナ(今ならアバターと言った方が通じるかもしれない)を突き詰める事で、どのような行動が生まれるかが見えてくる。梶さんの狙うのは購買行動な訳だが、そのペルソナになりきって「これなら買いたい」と思えるプロモーションを展開していくのだろう。

しかし、だ。一般論としてそれは物凄く正しいが、果たしてこの17年間、その手法を宇多田ヒカルに適用できてきたのだろうかという疑問がわく。なんとも、ファンのペルソナが想像し難いアーティストだからね。

安室奈美恵とか浜崎あゆみとかのファンの典型的な(ティピカルな)ファンの姿は、容易に想像できたものだ。「アムラー」なんて言葉が生まれる(誰かの真似をする事を「〜ラー」と呼ぶののルーツこれだもんね)くらいにね。もっといえば、素人さんが出てきた時に関根勤が「昔は川本真琴を聴いてました。」と代打自己紹介してくれそうな、そういう時に名前を出して貰えるアーティストなら、ペルソナが作りやすいという訳だ。

さて、関根勤が、「宇多田ヒカルの歌なら全部歌詞見ないで歌えます」と代打自己紹介してくれそうなペルソナって、思い浮かぶ? 無理じゃね? 一体梶さんは、どんなペルソナを思い浮かべてんのか。

ヤンキーでもDQNでもヲタクでもリア充でもない。しかし、ヤンキーのファンもDQNのファンもヲタクのファンもリア充のファンも居る。全く統一性がない。海外のファンは更にバラバラだ。人種も肌の色も年齢も性別も。ギークもナードも仏教徒もクリスチャンも。一体なんだこれは。

だからこそ総てを横断してビッグヒットを飛ばしてきた。もしかしたら梶さんは、宇多田ヒカルファンのペルソナだけは「お手上げ」なのか? 或いは今更必要ない? それとも私が想像出来ていないような「典型的な宇多田ヒカルファン」のペルソナを密かに構築しているのだろうか。いつかお話を聞く機会があれば、是非伺ってみたいものである。