無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

沖縄奄美は梅雨入りしたってね

何の切れ端なんだか。日本語が書いてあるから日本なのか今。いや、日本語が転がってる筈もない土地で日本語が見つかったから面白がっているのかもしれない。果たして真相や如何に。

今日は雨。だからどうしたと言いたくなるんだけどどうにもな。『花束を君に』にも『世界中が雨の日も 君の笑顔が僕の太陽だったよ』というフレーズが出てくる。『悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。』―ヒカルはそう記している。『世界中が雨の日も』というのはそういう意味で、何も地球という星全体が悲しみに暮れている訳ではない。ここでの『世界』とは寧ろ時間軸方向への広がりだと解釈した方がスムーズか。

一方で『真夏の通り雨』では『思い出たちがふいに私を 乱暴に掴んで離さない』とも歌っている。『乱暴に』というと乱暴だが(そのまんまやね)、それだけ惹き付けて止まない思い出の中の彼女はやはり笑顔なのだろうか。悲しい記憶、なのだろうか。どちらともとれるし、そもそも区別する必要は、無いのかもしれない。

『太陽だった』という過去形が、『花束を君に』をより別れの歌として印象付ける。雨の日に聴くこの2曲は又格別だ。