無意識日記々

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誰にも真似できないと言い切る話

再掲。

『もうまぼろし
『おしえてほしい』
『おしえて ただしいさよならのしかたを』
『あふれて あふれて』
『たずねて あしたへ』

『おしえてほしい』が残像を作り出しているのがポイントである。『まぼろし』と『ほしい』の二回、それぞれで旋律が一区切りになっている。そこで三回目は『おしえて』がもう一度来るからそこで旋律が途切れるかと思いきや『ほしい』が来ずに、『まぼろし』と韻を踏む旋律が来ずに、『正しいサヨナラの仕方を』と全く新しい旋律が来る。そして、同じ旋律をもう一度繰り返すのだ。

大塚愛の「もう一回!」を思い出した私はやっぱり古い人間だが、同じ旋律を繰り返すときの繋ぎ方には幾ばくかのパターンというものがあり、ここの『正しいサヨナラの仕方を』は矢継ぎ早に言葉を埋めてくる「三連符で攻め立てる」タイプだ。他にどんなタイプがあるかは…そうね、TRANSATLANTICがいちばんレシピ豊富かな。でもその話をすると逸れてしまうので割愛して。

『正しいサヨナラの仕方を』から『(勝てぬ)戦に息切らし』と同じ旋律である『誰かに手を伸ばし』に繋げている。『(勝てぬ)』の所もポイントだろう。『仕方を』で繋いでいるのでこの勿体回った一節は必要ない訳だ。

『夢の途中で目を覚まし』からのパートも『揺れる若葉に手を伸ばし』のパートも、旋律は繰り返されない。『勝てぬ戦に息切らし』からの所だけが『誰かに手を伸ばし』と繰り返される。『(夢の)』『(揺れる)』『(勝てぬ)』の3つの導入部をそれぞれのパートが持っている。で、三回目で繰り返し。都合4回繰り返された挙げ句の『溢れて 溢れて』である。ここが印象的だ。

『もうまぼろし』『教えてほしい』からの『教えて 正しいサヨナラの仕方を』という新しいはぐらかし方。で『溢れて』が来るのだが、聴き手はここで旋律がどちらに動くかわからない。『教えて』に対して『ほしい』と『正しいサヨナラの仕方を』の二種類が来ているからだ。そうして一瞬身構えた所にもう一度『溢れて』を被せてくるカタルシスな。本当に思いが溢れるかのようにここに旋律が溢れる。そこからの、この楽曲のいちばんの見せ場『木々が芽吹く〜…〜真夏の通り雨』である。感動的にならない訳がない。ここの構成は本当に巧い。

そして、『ずっと』によるエピローグ前、エンディング前のパートではもう一度『夢の途中で目を覚まし』が来る。これは楽曲の冒頭に戻る訳だが、そこから『たずねて 明日へ』に至る所がエンディング前たる所以。メロディーは『溢れて 溢れて』と近似しているからそのまま『木々が芽吹く』と同じ旋律を導いてもよさそうなものだが、そうはならずに『ずっと止まない止まない雨に』のあのエピローグがやってくる。なんとも、なんとも独特な構成の楽曲である。5分41秒という長さの中でここまで凝ったつくりの楽曲はなかなか聴けない。王道のAメロBメロサビの構成の楽曲も素晴らしいが、言葉を有機的に配して構成を導くこの手法は、なんだろう、「誰にも真似できない」と言ってしまっていいのかな。この曲に関しては、やはりフルコーラスで聴いて真髄が理解できると勧めた方がいいだろう。ただメロディーを聴いてキャッチーかどうかだけチェックする風潮(そんなものがあるとして、だが)に対しての究極のアンチテーゼとなっている。真正面から向
き合って接する以外ない。