無意識日記々

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『 #真夏の通り雨』の構成の話

真夏の通り雨』は変わった構成の曲である。今までのヒカルのレパートリーで類似する曲は見当たらない。

具体的にみてみよう。冒頭部、『夢の途中で〜もう幻』までのひとまとまりのメロディーをB、『汗ばんだ〜深く刻んだ』までのメロディーをAと仮に呼ぶ。

すると、『揺れる若葉に〜教えてほしい』は大体B、『今日私は〜言い聞かせてるけど』は大体A、『勝てぬ戦に〜正しいサヨナラの仕方を』は大体B、『誰かに手を〜溢れて』も大体Bである事がわかるだろう。

次の『木々が芽吹く〜見送りびとの影』の部分はBともAとも違う新しいメロディーだ。仮にCとする。ならば次の『思い出たちが〜真夏の通り雨』の部分もCになる。

間奏後の『夢の途中で〜明日へ』は再びBだ。そして次の『ずっと〜渇き』のパートはまた新しいメロディー。Dと呼ぼう。

以上を踏まえて纏めてみると次のようになる。

B:『夢の途中で〜もう幻』

A:『汗ばんだ〜深く刻んだ』

B:『揺れる若葉に〜教えてほしい』

A:『今日私は〜言い聞かせてるけど』

B:『勝てぬ戦に〜正しいサヨナラの仕方を』

B:『誰かに手を〜溢れて』

C:『木々が芽吹く〜見送りびとの影』

C:『思い出たちが〜真夏の通り雨

(間奏)

B:『夢の途中で〜明日へ』

D:『ずっと〜渇き』

…以上のようになる。『B→A→B→A→B→B→C→C→(間奏)→B→D』だ。こんな構成の曲は他にない。例えば『First Love』は『A→B→C→A→B→C→C』だし、『Flavor Of Life』は『C→A→B→C→A→B→C→C→D→C→C』で、こういう構成がPopsのスタンダードだ。そこから大きく逸脱している。

何故こういう事になったのか。詳細な分析はまた次の機会に。取り敢えず『真夏の通り雨』を聴き直しておいて下さいな。