無意識日記々

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脳みそがぐりんぐりんする話

放送・出版・プレスといったいわば"旧世代メディア"が、今の時代にアジャストする為にとる施策は、時にイビツ過ぎて滑稽にすら映る。「だったら最初っから全部インターネットでやればいいのに」と思う事頻りだ。

それらの旧世代メディアは余りにも巨大になった為いわば既に"権力"であって、なかなか身動きがとりづらく、新世代メディアの目の上の瘤として立ち塞がっている。それは誰がどうというより、皆の中に根付いた習慣の話だ。

前に触れた通り、今コンテンツは中身の事よりフォーマットや流通・宣伝の話題の方が重視されている。いや、私が重視しているだけだ、と言えたらいいんだが、残念ながらそうなっているようには思えない。旧世代の習慣が廃れるまでにはまだまだ随分とかかるだろう。

とはいえ、こうやって「何を手に入れるか」より「どうやって手に入れるか」について関心が集まるのは悪い事でもない。洗練されていくにつれ、個々人が何を得たら満足なのかがより可視化されるからだ。自覚は能動のはじまりである。今はまだそこまで行っていないけど。

旧世代の足掻きは、いわば時間稼ぎだ。そうやっている間に少しずつ習慣を変えて整えていけばよい。

関心があるのは、この、フォーマットの変化が今後恒常的なものになるのか、ある程度いけば止まってしまうのか、だろう。具体的にいえば、例えばスマートフォンは今の形からこの後10年、変化するのかしないのか。テレビはチャンネルがリモコンになったり画質や音質がよくなったりサイズが大小増えたりといったマイナーチェンジはあったが、半世紀間基本的には変わらなかった。スマートフォンの場合、ガラケーからタッチスクリーンと動画再生が加わった時点で既に白黒テレビからカラーテレビ以上のドラスティックな変化だとすらいえる。今のこのスタイルは、そろそろ定着するのか、それともまだまだ変化し続けて止まる事がないのか。

腕時計型の端末や眼鏡型の端末も検討されている。それらに主流が移るのか、並存するのか、立ち消えになるのか。いわば日々期待と不安の中で生きている。新しい物好きには堪らない時代だが、ただコンテンツを楽しみたい方からすれば早く落ち着いて欲しい、というのが本音だろう。

従って、新しい"世代対立"は、恐らく、ガジェットの変化で遊ぶ事自体を娯楽として楽しめる世代と、旧来の、物語や絵や映像や音楽やゲームを楽しむ世代の対立になる。それは、どちらが優れているという事ではなく、どこの何を楽しんで満足出来るかという価値観の話だ。そこまで行くと何だか疲れてきてしまうので、きっと人々を癒やす歌声というのは途切れる事は無いだろう。問題は、それをどうやって届けるかだ…。