わざわざサイトにニュースレターのバナー貼り直すだなんて、梶さんからの「そろそろ次のニュースが来ますよ」というフリにしか思えないんだけど、ヒカルにフラグは通用しないからな。いつも通り待とう。
そういやヒカル、前に「待たせて悪かったな!」とかツイートしてたような。人を待たせるのが悪い事だというのなら私にとってヒカルは歴史上最悪の極悪人になってしまうな。いっつも、待ってばっかりだから。
…今の『ぬ』の歌い方が将来黒歴史になりませぬように…。
さて、7月からにしようと思っていたが気が変わった。もう今書いておこう。「次の曲をどうやって待ちましょうか」ね?
今、手元にある新曲をもう一度チェックしておこう。『花束を君に』と『真夏の通り雨』。これより前となると3年前の『桜流し』。それより更に前となるとSCv2の5曲になる。僅かな点から包絡線を描くのは無謀な試みだがやってみよう。
いちばん大きな特徴、今までと大きく違う点は、ここ3曲でサウンドと演奏のフォーマットが基本的に同じな事だ。これはHikaruには極めて珍しい。『EXODUS』を聴けばわかる通り、曲に合わせて使う音色や楽器、人材さえも多種多様なのがHikaruの特徴だった。同じフォークギターを使うのでも『Exodus '04』ではティンバーランドのチキチキビートをフィーチャーし、『About Me』では自らの打ち込みリズムと弾き語りだ。『Kremlin Dusk』はジョン・セオドアというロック・ドラマーを起用し、『Devil Inside』では和楽器の音色が鳴り響く。何でもありなのである。
しかし、どうだろう、直近の3曲。『桜流し』『真夏の通り雨』『花束を君に』はいずれも演奏形態が同じだ。エレクトリック・ベースにロック・ドラム、ピアノにストリングスというのが基本路線である。『桜流し』はここにエレクトリック・ギターが絡んで来るが、いずれにせよこの3曲は、ほぼ同じバンド・メンバーを揃えればLIVEで再現が可能だろう(実際のスタジオ・バージョンでは演奏者は総て異なるようだが)。
特に、『桜流し』から3年以上が経っている事に注目したい。普通これだけ間隔があけば曲同士のサウンドが似通う必然性はまるで無くなっていてもおかしくはない。「別人みたいな曲」と言われる事も覚悟するブランクだ。千日とかですよ。それがどうだ、サウンドのフォーマット、演奏形態がほぼ同じであるばかりでなく、歌詞のテーマまで連結している。更に6年前まで遡って『嵐の女神』からの物語を紡ぐ事すら可能なのだ。これは、繰り返すが、Hikaruにとっては極めて珍しい。
過去には『Automatic』『Movin' on without you』『First Love』の"失恋3部作"みたいな例もあったが、これとて歌詞が繋げて聴ける一方で曲毎のサウンドはまるで違っていた。1999年初頭に『Movin' on without you』を初めて聴いた時、その余りの『time will tell / Automatic』との曲調の違いに皆驚愕した筈だ。今回はそれが無いのだ。
2つの方向性が考えられる。ひとつは、「たまたま」であるという方向。このサウンド形態はここまで、或いはあと何曲かで打ち止めで、アルバム全体の楽曲は相変わらずバリエーション豊富な数々のサウンド形態がみられる、という予想だ。
もうひとつは、ヒカルがこのサウンド・フォーマットを「ついに見つけた宇多田ヒカル独自の様式」として位置付けている可能性、だ。即ち次に発表されるアルバムはほぼ総ての楽曲にわたってベース&ドラムス、ストリングス、ピアノという編成が基軸になっているという予想である。変幻自在予測不能の宇多田ヒカルが自らの"型"を持ったとすればこれはもう大事件である。
現時点では、どちらの方向性が正しいかはわからない。或いはその中間、「今回のアルバムに限りこの編成を基軸にするが、次からはまた別。」という事もありえるか。いずれにせよ、次の新曲を迎えるにあたっては、まず演奏の編成がどのようなものであるかに注目してうただけると有り難い。ヒカルの未来がどっちに向いているのか、具に見守っていく事に致しましょうぞ。