無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

コンパクトにディスってみた話。

今度のニューアルバム、CDが売れなかったら宇多田ヒカル最後のCDになるかもしれない。いやホント。もう今後CDシングルをリリースする見込みは(チャリティーシングルでない限り)ありそうにないので、アルバムでCDが出なくなればもうCDは出ない。シングルを8cmから12cmに移行させ、過去の誰よりもひとつのタイトルで多くのCDを売った宇多田ヒカルがCDを出さなくなる。これはひとつの時代の終焉を意味する。とっくに終わってるやんて言われたらそれまでやけど。

だから売れて欲しい…と素直に言えればいいんだが、自分の場合どこか本音に「別にぃ」というのがあってだな。音さえ聴こえてくれば贅沢は言わない。究極的にはモノラルのイヤホンで構わない、と思っているので再生媒体の違いなぞとるに足らないこと。それにこだわれるのは"贅沢"である。

ある意味、宇多田が売れなければレコード会社もいよいよフィジカルに見切りをつけられる。いいキッカケになるかもしれない。実際、レコード会社がフィジカルを売りたがるのは、価格設定を3000円に出来るから、最早それしかない。物理的な原価や流通費用などは、いつも言っている通り消費税の増減で吹っ飛ぶ程度でしかない。ハイレゾ配信が何故期待されるかといえば、音質なんてどうでもいい、価格を3000円以上に設定出来るからだ。もうそれらはただの言い訳でしかない。もしCD以外に高額な価格設定を出来る言い訳が生まれれば、レコード会社はCDを欲しがるユーザーの事など眼中に無くなるだろう。CCCDの時点でそうだったが、つくづくお互いに対して愛の無い業界である。

と言って、特に絶望はしていない。そうやって出来たシステムに乗っかってこちらは生きている。来日公演を期待するアーティストのCDは輸入盤を避けて日本国内盤を買うし、4期を期待するアニメに対してはDVDやBlurayを時には複数枚買って支援する(つもりになって自己満足する)。確かにあまり効率はよくないし、行かなくていいところにお金が行っている気もしないではないが、システム使用料だと思って使う事にしている。愛のない発想からできたシステムだって愛をもって乗っ取ることができる。理想も結構だしいつかそっちに移行したいが、現時点で利用できるものは利用する。単純である。

さて。ではヒカルは、今回、例えば配信でなくCDを買ったらどんなメリットがあるか、説明してくれるだろうか。本人からして、今はもうCDを買わず配信販売で済ませている空気が漂ってくるので、「別に、好きな方を買ってくれれば…」と言い出し兼ねないが、レコード会社からすれば利幅の大きいCDの方を買って欲しい。本音は明確である。そこには温度差が、あるだろう。

確かに、今やわざわざCDを買うのは情報弱者ですらある。音質にこだわるならハイレゾ配信を購入すればいいし、安く気軽に買いたいなら普通の配信でOKだ。帯に短し襷に長し。いや、ハイレゾより劣る音質で同じ値段では、一体何の為に買うのやら最早わからない。ネットの事やPCの事がよくわからないので、慣れたCDを買うのがいちばん無難。そういう感じで買うものだろう。

確かに、CDをセットしてプレイボタンを押せばすぐ再生してくれる手軽さは捨て難い。ひと手間ふた手間の違いだが、それが大きかったりする。自分も、ネットラジオはストリーミングのバッファに時間がかかってじれったいからとAMラジオのスイッチをポチッと押してAFNを鳴らして満足する事がある。ほんの数秒から数十秒のその差は、結構大きな差だ。

まぁ、でも、大抵の人はポータブルプレイヤーにデータ転送しちゃってるから、CDって、「棚から取り出してセットする」手間の分、余計なんだよねぇ…。そう考えると、配信音源より不便で、ハイレゾより劣る音質で、なのにいちばん高額なCDの、ホントに何がいいのだろうと真剣に考え込んでしまう。ブックレット? 11インチのディスプレイでさえフィジカルのブックレットよりデジタルブックレットの方が鮮明で精細で且つサイズがより大きくて見易いよ。配信してくれれば、だが配信の方が総合的には優れている。ブックレットも。ますますCDを買う意義が…



…言うても、僕は買うんですけどね、CD。店頭陳列日1日早いからね。その1日の為だけに買う価値だってきっとある。いや、屁理屈か負け惜しみにしか聞こえないですかそうですか…まぁええやないですか。