無意識日記々

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人形人魚に仰天業務(全3巻既刊

で、前回の日記を書き上げてふと見上げたら「Little Mermaid」という看板が。美味しいパン屋さんでした。

人魚ほどメルヒェンちっくな、即ち童話的な題材って今まであったかな。童話とは物語の原型であり文化の下支えをするものだ。幼子はそこから人生と世界を学ぶ。寓話に従えば尺が稼げる。現実の正確な描写はその現実そのものでしか有り得ない。しかし、描写に虚構を混ぜる事で単純な本質を暴き出せる。例えばゴジラのように「全部ゴジラにしてしまえる」のだ。一瞬にして人生は10ページに纏められる。

ならば「人魚」に込められた寓話的比喩は何なのか。それを推理する事がこの曲を紐解く鍵になる。

…のだが、その一歩前の段階、そもそもヒカルは寓話的比喩を使った事があるのやら。

パッと思いつくのは『A.S.A.P.』の『狼少女』、これは狼少年のパロディだな、とあとは『B&C』のボニー&クライドか。いや前者は寓話かもしれないが後者はただの「現代の御伽噺」であって即ち実話か。

そもそも、「シンデレラ・ストーリーに憧れられない人No.1」が宇多田ヒカルだ。サラブレッドかつ一攫千金というよくわからない境遇で、シンデレラに憧れれる暇なんかなかっただろう。歌う母の背中は憧れだったかもしれないが、「ミュージシャンなんて職業就くもんか」と思ってた事がある以上今やってる仕事はいつだって切実な今でしかなかっただろうて。


既存の童話寓話御伽噺を題材にしたのと異なり、ヒカル自身が歌の中でそういった世界を描いた例ならある。『ぼくはくま』『海路』『虹色バス』などがそうだ。くまや虹色バスはゴジラ同様、現実をショートカットする小道具である。くまちゃんを道具扱いするのは何かヤだけど。そういったエピソードを構成する事自体は吝かではないようだ。

しかし、『人魚』とタイトルで正面切って言ってしまうと、そのストーリーを踏襲するしかない。もし人魚という言葉を使った上で異なる物語を紡ぐとそれは風刺や皮肉との評を免れ得ない。それをヒカルが望みそうにない事位なら、わか…まぁ、わかるよ。パロディにしかならない、って事ね。例えば「現代版人魚姫」なら寝取られ展開全開ですよ、と。

嗚呼、サブストーリー仕立てならいいか。人魚姫はお姫様。ルックスには自信のある設定だ。しかし、こちらは冴えないどこにでも居る普通の女の子。なのに周りにはイケメン男子が次々と寄ってきて…ってそれ少女漫画ですかねー。まぁ兎も角、少しは抜け道は、あるかな。オタサーの姫じゃないけれど、姫になれない人魚も居る、とかならなんとかなるかもしれない。


…これがひっくり返して「魚人」だと途端に…ってのは漫画「ONE PIECE」で散々やってるな。それは別にいいだろう。

という訳で、なかなか難関なこの『人魚』というタイトルの許でヒカルがどんな歌詞と曲に仕上げてきたのか。今から聴くのが楽しみでなりませぬ。