無意識日記々

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一周半

次から次へと露出情報が出てきているが、今のところ売れる予感は無い。しかし、そこはチーム宇多田。『宇多田ヒカルのうた』を最後にはきっちり帳尻を合わせて結果を出した。今度は本丸。気合いが入っていない訳がない。発売日直前に猛烈に追い上げてくるのではないか。どんなプロモーション態勢になるのか、興味津々である。

そして今や(ここでは)お馴染みの合い言葉『通常盤仕様1形態』。潔さ満載だが、これに対する"定評"は最早一周半回ったところに来るんじゃないかと危惧している。曰く、「枚数が出なくても通常盤しかないからだと言い訳が出来る」。つまり、この潔さを逆に逃げ道と捉える事も出来る、と。

確かに、危うい。これはもう受け取り手側の"常識"が今どこに在るかで左右される。「現代でCDを売る時は初回限定盤を出すのが常識。それに基づいて皆枚数を争っているのだから、それをしてこなかったのならそもそも勝負の土俵に上がる事から逃げただけなのではないか」と。ここまでこじらせると見事なものだが、今の"常識"から言うと決して的外れとまでは言えない。

何故秋元康商法が買わない人たちから不評かといえば、従来のチャートの価値基準みたいなものを壊したからだ。AKB48が幾ら枚数を出してもそれは曲がヒットしたかどうかとは直接関係ないのに、過去ねヒット曲たちを数字で圧倒してしまった。新しい基準で測らなくてはならなくなってしまった。それへの抵抗感だ。

『通常盤仕様1形態』は、そこからいえば逆張りである。もし周囲と似たような枚数なら「通常盤仕様1形態なのに凄い! これは実際の枚数の何倍も価値がある!」となるだろうし、実際にその通りだろう。しかしここは日本だ。僻まれる。イチローの過去の実績にさえ文句を言う人間が居るのだからもうそれは仕方のない事だ。問題なのは、居るか居ないかではなく、居たとして、どのくらいの割合なのか、だ。

ここは本当に流動的だと思う。極端にいえば、通常盤仕様1形態で他の3種類とか5種類とか17種類とかのCDに枚数で買ってしまえばいいのだが、今のところその兆候は無い。この後発表されるリーダートラックが爆発すれば或いは、だけれども。『First Love』『Flavor Of Life』『Prisoner Of Love』をぶっこんできた御仁だ。いつなんどき大ヒット曲を生み出すかわかったものではない。

とはいえ現状はまだまだだろう。そういう意味でも、純粋に中身とその評価が運命の分かれ目となる。予感としては、まだこのアルバムはセラピーの途上であってエンターテインメントまでは行っていないようにみえている。『道』はキャッチーだけど他は、、、みたいな? まぁ、聴いてみないとわからないってのは間違いない。私にとっては、既に既存3曲で名盤確定しているので今ココで書いた事はいやもう別にどちらに転んでくれはっても、構おましまへんわ。