無意識日記々

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パラリンピックの話に逃げました

あーあと私がご機嫌斜め風なのは、テレビがちょっと別世界だから、ってのもあるかもしれない。この15年間、地上波テレビってのはずっと"パソコンのアプリのひとつ"でしかないので、そこにヒカルが出るからって特別感慨が無いのだ。これがニコ生だったらもしかしたらテンションが上がるかもしれない。今季はとと姉ちゃんとリオパラ&オリンピックのせいでちょっと事情が違うが、普段はテレビよりニコ生観てる時間の方がずっと長い。長かった、かな? 今ごらく部あんまり動いてないしな。

いやだから俺の話はいいんだよ。要は、観てから判断するってこと。ヒカルが映ってるというだけでひれ伏してしまうのが素なので、敢えて厳しい目で見ようという不自然な負荷をかけている、という点に関しては触れておいた方がいいかもしれない。要は面白い番組作ってないと怒るよ、と。

ヒカルが出て歌ったらもうそれだけで最高の番組間違い無しだけどな。だから気を緩めないようにしないと。


あと、やっぱり心の準備が出来ていない、ってのが。正直逃げ出したい。ああこの話前もしたか。じゃあいいや。


パラリンピックが開幕したが、感動ポルノという言葉がメジャーになったので付言しておくと、見所は「障害があるのにあんなに頑張って」的なヤツ、でも別にいいんだけど寧ろそこに漲る創意工夫の数々である。例えば、乙武洋匡氏に関して四肢の不在ときいて「じゃあ歩けないな書けないな」と安直に考えていたのに実際の氏の映像をみると「あんな移動の仕方があったか」「ああやってタイピングすればいいのか」と目から鱗が落ちる思いをした。如何に普段の自分が偏見と思いこみに満ちているかを思い知らされる。「そうか、そんなやり方があるのか!」と彼らの創意工夫で導き出した競技上のソリューションの数々に感心するのが、私のパラリンピックの楽しみ方だ。いやはや、色んな方法があるものだよ。あれがなければこうすればいい、のレシピの塊だ。

昔から「オリンピックと一緒にやってメダルも一緒に数えればいいのに」とか「寧ろオリンピックより先にやったら?」とか色々な意見が出ている。確かに、柔道の体重別と障害クラス別に本質的な違いはあるのかと思うと悩んでしまうので、もう統合しちゃってもいいんでないのという気がしないでもないが、もうちょい参加国が増えて競技のレベルが全体的に上がってからの方がいいかもしれないなぁ、戦略的に考えると。

そういえば、今回はオリンピックで日本との対戦があったのでポーランドの女子卓球選手のパルティカをテレビで見た人も多いのではないか。卓球のルールブックにはちゃんとサービスの際のルールとして「隻腕選手はラケットハンドでトスをしてもよい」と書いてあるので、彼女はなんら特別扱いを受けておらず、普通に強い代表選手だ。普段のツアー大会でも名前をよく見かける。彼女の活躍が知れ渡って、将来的にはパラリンピックとオリンピックの両方で金メダルをとる選手が現れるかもしれない。他競技にはもう居てはるのかな? 卓球競技ではまだない。いつか実現したら凄い、というか、ますます面白い競技になっている証なので、それが楽しみかもしれない。


前から書いているように、病気や障害というものはその人が属する社会によって決まる。身体的には全く同じ状態(双子とかでもいい)のAさんとBさんが居て、AさんはX国に居る為に病人扱いされ、BさんはY国に居る為に英雄扱いされているかもしれない。病気や障害というのはそういうものだ。もし社会が十分に豊かになれば障害者は減るだろう。「その程度なら生きていくのになんら障害は無い」という意味で。そういった理想を実現させる契機としてパラリンピックを利用するのなら構わないけれども、やはり競技自体が見ていて面白い事が何より大事だ。参加する選手の皆さん、国籍の違いや有無に拘わらず、是非練習の成果を出してベストのプレイをして下さいませませ。