無意識日記々

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絶妙と微妙の狭間で

あぁそうそう、忘れないうちに書いとくと、既に『花束を君に』も『真夏の通り雨』も『桜流し』も「Mastererd for iTunes」だよ。まだ聴き比べてないので確証はないのだけど、しっかりリマスタリングしてある。特に『桜流し』のサウンドプロダクションに不満を持っていた人は是非。たったの250円。

さて『二時間だけのバカンス』の話に戻ろう。

この曲は、本当に危ういバランスの上に成り立っている。いや、成り立つかどうかは、これから決まるんだが。

私のこの曲に対する評価を最初に結論付けて記してしまおう。「事前の私的な期待に100%以上応えてくれる楽曲がやってきたのに、それは気がついてみたら自分の好みから全くかけ離れた作品だった」。つまり、私は自分の好みから遠い曲を事前に期待していたのに気がついた。流石宇多田ヒカル、見事に期待に応えてくれたが、全然この曲好きじゃない(笑)。

これも結論から言うと、この曲は売れなければ話にならない。売れなければ全く意味が無い。大ヒットを宿命づけられた曲だ。世の中には「隠れた名曲」といって有名ではないが素晴らしい楽曲は山ほどあるが、『二時間だけのバカンス』は隠れてしまったら掛け値無しの駄曲である。しかし、もしこの曲とビデオが話題になりアルバムセールスを押し上げたのなら、途端にこの曲は歴史に燦然と輝く名曲となるだろう。まさに、生まれついての、純度100%のポップ・ソングだ。全く凄い曲を作ったもんだ。

しかし今は、まだ発表されて24時間も経っていない。真価が発揮されるとすればこれからだ。その為、曲を聴いていると奇妙な不安定感に襲われる。まるで何も聞こえてこないような。あらゆる感想と評価が「絶妙」と「微妙」の間を行ったり来たりしていて、まるで乗り物酔いをしている、そんな気分。

といえば、本筋から外れるけど、やっぱり私なら、前にちらっと書いたけど、『道』のラストを『そんな気分』から『おひさしぶり』に変えたトラックを“ラジオ・オンエア限定テイク”として全国のラジオ局101局に配布したかったなぁ。こういうアイデアも、当たらなければ頗る格好悪い。

戻ろう。『二時間だけのバカンス』は、例えば発売のタイミングからして微妙なような、絶妙なような。歌詞の内容は、ゆみちんとひかるちんと同世代の女性たちにエールを送るような内容で、「今年の夏もまとまった休みがとれなかったなぁ」と嘆く女子たちの癒しとなる事請け合いなのだが、この、9月16日解禁というのはちょうどいいタイミングなのかやや遅きに失しているのか、どうなんだろう。地域によっては「もう秋だよ!遅いよ!」になってやしないか。先述のように、聴き手が「もうそろそろ夏も終わりかな…」と首を傾げつつあるタイミングだとすれば、絶妙だ。でなくば微妙だろう。さぁどっちだ女子たち。

歌を聴いてまずビックリするのはサビメロのどキャッチーさだ。三回目のサビに来る頃には既に鼻歌で歌っていてしまいそうなくらいにすぐ覚えられるメロディーで、なのにしっかり独特の流れがある。『Keep Tryin'』は「どう?変わったコードでしょ?」とどや顔だったがこの『二時間だけのバカンス』は顔色ひとつ変えずにサラリと流してくる。そのこましゃくれた感じが全く私の気に入らない。心憎いを通り越してただただひたすら憎たらしい。

しかし、なんというか、"お手本"のような曲だ。ポップソングを書きたい人の為の、みたいな広範で曖昧なものではない、これはハッキリと、「宇多田ヒカル椎名林檎にポップソングの書き方のお手本を示した曲」である。流石にヒカルにそんな尊大な気持ちは無かったであろうが、結果的にそこに着地してしまっている。ビデオではヒカルが寄りかかっているが、ポップミュージックの真の女王は勿論宇多田ヒカルだ。

椎名林檎が歌ってくれているから如実にわかるだろう、この曲は「本来陽向でポップソングを歌うような体質に無い椎名林檎が、その場所を(女王の留守中に)死守する為に悪戦苦闘して慣れないポップさを必死に出そうと頑張っていた椎名林檎が"こ、こういう風に書きたかったの!"と言いたくなる歌」である。ヒカルなら書けるのだ。無理をせず。本当に凄い才能だと思う。私は全然好きじゃないけどな。

「セラピーに集中してエンターテインメント性の低いアルバムになっているのではないか」という私の心配に満ちた予想が、もうまさにガラクタのような杞憂となって道端に捨てられた。それ位にインパクトと娯楽性のある楽曲だ、この『二時間だけのバカンス』は。まだまだ語り足りない事がある。暫くこの余波は続きそう。全然好きじゃ、ないけれど。