無意識日記々

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半歩差

「嘘を嘘と見抜けないとネットを使うのは難しい」―昔のひろゆきがそんな事を言っていた。今やネットユーザーの最大多数が、「そもそも嘘と本当の区別がない」人種になったので最早見抜ける見抜けないの問題ではなくなった。有吉風にいえば「インターネットが馬鹿に見つかってしまった」のだ。ブレイクした訳だ。まぁ、めでたい事なのかもしれない。

本来ならネット歴20年の私などはそんな馬鹿たちをせせら笑って高みの見物と洒落込むべきなのだろうが如何せん性根が騙され易くて困る。起きていても半分寝ているようなものなので終始ぼーっとしていて夢と現実の区別がついていない。嘘か本当かより更に以前の問題である。ネットには馬鹿にみつかる前から大馬鹿が住んでいる。

という訳で、ネット歴なんてあんまりアテにならない。私より更にずっと慣れているような梶さんは先日タブロイドの記事に怒るような呟きをしていた。相変わらず真っ直ぐな人だ。反応がフレッシュである。プロモーション戦略の強かさと結び付くような、結び付かないような。

一応「これではないか」という記事は、Web上で読ませて貰った。毎度の事ながらタブロイドの執筆技術というのは唸らされる。ここまで密度の濃い叙述トリックを仕掛けられるなら素直に探偵小説でも書けばいいのにと思うが、素直に探偵小説を読むよりタブロイドを開く人間の方が遙かに多いので生存戦略は途絶えない。

確かに、ここまで(無駄に)緻密だと、内容ではなくタブロイドごと叩いた方が手っ取り早い。しかしそれは偏見を偏見で潰す手法で、対症療法にはなりこそすれ根本的治療にはなりえない。人の業に政治と宗教に加えて醜聞も入れるべきかもしれない。

でまぁ乗り気でないながらも内容に触れておくと、たぶん半分は真実である。ただ、ただただひたすらに、梶さんと沖田さんに悪い印象を与える為の言葉遣いを選んでいるというだけで。悪意のない言動に悪意を添付する技術というべきか。巧いもんだと感心する。

「そそのかす」というチョイス、これが代表的だろう。見出しにもなっている。該当記事を読んでない人は何の話かわからなくて大変申し訳ない。お二人がヒカルに移籍を"そそのかした"事になっているのですよ、ええ。漢字で書くと「唆す」、示唆とか教唆とかの唆ね。

現実問題として、三者の間で「相談」があった事は間違いないだろう。また、移籍の言い出しっぺ、アイデアを出したのがお二人の方である可能性もあるだろう。ヒカルにアイデアを「提案」した事もあったかもしれない。大体、想像や妄想はここらへんまでで止まるのだが、タブロイドの悪意はここから半歩踏み出す。相談や提案をちょっと逸脱して「教唆」まで行くのだ。

半歩、なのが重要である。大きく踏み出して「強要」とか「脅迫」とかまで行くと途端にリアリティが浮かばなくなる。これが「教唆」くらいだと、「…あるかも?」と一瞬思ってしまう。タブロイド・ライターはそこの隙をついてくるのだ。相変わらず巧い。

我々がこの記事を「んなアホな」と言って切り捨てられるのも、十数年にわたって沖田さんや梶さんがどんな人かを見てきたからだ。中には実際に会って話した事のあるファンも居る。自分もそうだ。ある意味強い免疫がある。しかし一般の、しかもタブロイドの読者とその記事を取り上げる番組を見ている視聴者にはそんな免疫はない。彼らに嘘を嘘と見抜けと言っても難しい。さしあたっては対症療法しかないが、総て立ち消えにするには完全無視がいちばんである。その観点からすると、こうやって長々取り上げている私がいちばんの大馬鹿野郎という事になるな。どうもすみませんでした。