無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

my monologue about photographs

まぁ自分も人の顔の事なんて言えないのだが。そもそもあんな美人に文句をつけれる立場にないしその筋合いもない。でも言ってしまうのが、なんといいますかサガというかゴウというか。開き直っております。

ファンの立場としては、フォトセッションごとに「普通に撮ればかわいいのに」と思ってしまう。なんとかかんとか工夫して漸くみれる顔になる、とかいう世界とはかけ離れた、母親譲りの美貌に魅惑的な表情。寧ろ「余計な事はしないで」というのが金科玉条、素材の味を楽しむ為には調味料最低限でいいよ、とそう思わなくもない。グロテスクな味付けは要らないのだ。

『Fantome』のクレオパトラも、悪くはなかったと思う―というか、最初写真だけで見た時は「これはこれで」くらいの感想だったのだが、結局そのあと一度び何度か「動くヒカル」を目の当たりにしてしまうと「そのまんまの方がよかったんじゃ」というところに落ち着いてしまった。今に始まった事じゃないので、今更だからどうというのでもないのだけれど。

過去で自分が気に入っているフォトセッションは『Passion』だ。CDジャケットのナチュラル・メイクもいいし、まるでカラーコンタクトをしているかにみえる吸い込まれるように神秘的な瞳が印象深い特設ページのトップフォトもよかった。勿論PVも麗しく、同曲のビデオが高評価なのは「ヒカルが美しいから」というのも多分に含まれていると思われる。

他にも『HEART STATION』の寝起き気だるげ風味もよかったし、『光』は写真もビデオも…って気に入っているの沢山あるなぁ、あれ、何か気に入らないのあったかな…あ、『EXODUS』とかか。なんだったんだあのメイクは、っていう。しかし、アメリカのエンターテインメント業界にお邪魔しようとした以上、特に好きではなかったけれど、そういう風なアプローチもすべきかもしれないという意味で意図は理解できた。『This Is The One』も同様。となると、そこまで気に入っていないのもないような…?

『Be My Last』のピチピチドレス姿も、一部で失礼なコラが作られてはいたが私は大変気に入っていたし、『NINTENDO DS』のCMで「松本明子かよ」とツッコまれていた時も「これくらい健康的な方が安心だ」とか言ってたなぁ。私結構寛大な方なのかもしれない。あばたもえくぼ状態なのだろうか。いやそんな事ないよな…。

「自分を一定のヴィジュアル・イメージに押し込みたくない」旨を『Addicted To You』の時に強調していたが、本人も、なんだろう、そこまで重視していないからこそ色々やるのに抵抗が無いのだろうか。正直、メッセの時代からの自撮りの破壊力を鑑みるに、ルックス面でも自己プロデュース力は非常に高く、フォトセッションもヒカル本人主導で行くのがいちばんなんじゃないのと思わなくもない。あたしゃ有名フォトグラファーの名前なんてまるで知らないので今後「あの巨匠がUtada Hikaruを撮影!」と騒がれても「ほーん」という反応しか出来ないだろうし、ジャケットなんて全部ヒカルの自撮りでいいんじゃねーのと本気で言い出しかねないのでこの話題については今後もほどほどにしておきたいと思います。