無意識日記々

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『Forevermore』の暫定的概観

いやはや、『Forevermore』、脳内で反芻するだけで涎が垂れそうだ。とても美味しい曲である。

しかし、例えば『Stay Gold』のような、10代にもわかりやすい、明快なメロディーをもった曲ではない。前作(もうそろそろこう呼ばなければならない!)の延長線上にある"日本語を大切にしたうた"と、非常に充実したバックトラック。私は個人的にこの言い回しは貶す時にしか使わない筈だったのだが敢えて書こう、「大人にしか魅力の伝わらない曲」であると。

それはつまり普段なら「こどもに伝えられるくらいにシンプルに突き詰められなかった」敗北宣言でしかない。普段ならば、な。しかし、今回ばかりはそういう事ではない。

ちゃんと鳴るヘッドフォンを耳につけた『For You』ならば、普通の10代にもその魅力が通じた。しかし、『Forevermore』では敢えてつけているイヤフォン(あれ、イヤホンだっけ?)が壊れているのだ。それをする事を理解できるこどもは、いちどはこころをこわしたことのあるこどもである。幼いうちに、おとなにならなくては打ち砕けない状況に遭遇したこどもになら、このうたは理解できる。心に響く。

10代を健全に生きている皆さんにはこの歌は響かないかもしれない。しかし、大人になれば強制的にわかる。それまで待って欲しい。10代にしてこのうたがこころに皹入って、いや響いてしまった人は、福音の来訪である。この歌で存分に癒やされて欲しい。

正直、自分も、例えば15歳の時にこの歌に巡り会ったとして反応できたかといえば自信がない。『Letters』の時ですら「もう少し自分が若かったら、この新しいフックラインを素直に受け入れられただろうか」と不安になったものだ。今は自分が年老いていて、心が本当に壊れ始めているから素直に祝福できる。この歌の純粋さはまるで悪魔のようだ。仮初の子供の貌を覗かせながら心を見事に蝕んでいく。これをして『薄情者』とは何たる皮肉だろうか。確かに、もう使いどころのない言葉をここぞとばかりに繰り出してきたとしか思えない…



…というのが、最初の90秒を聴い(て脳内で反芻し)た感想である。即ち暫定だ。『真夏の通り雨』の"怨み"は忘れちゃいない。『ともだち』ですら『にはなれない』と返された。警戒は怠らない。しかし、どうしようもない。この"感じ"がまるきりひっくりかえされようと、西を向くか東を向くかの違いだけで、重み自体は変わらないのである。

確かに、少し不可解な面もある。久々の英語タイトルに、英語の歌詞。ここで日本語タイトルに拘った『Fantome』からの流れを断ち切りながらも『Forevermore』という字面自体は強く『Fantome』の続編である事を主張しているし、サウンドもまさに(『大空で抱きしめて』が少し昔に戻ったのとは対照的に)『Fantome』からの正当進化である点も気にかかる。まだまだわからない事だらけ。フルコーラスを聴ける迄油断は出来ない。