無意識日記々

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『甘くほろ苦い』じゃないですよ

先週の続き。ヒカルの音楽的な趣味が変わりつつあるのかもしれない…という話。

味覚に喩えるとわかりやすいか。幼い頃と大人になってからでは好む食べ物が往々にして変わる。コーヒーなんかは代表格で、小さい頃は「汁は苦ぇしよ」(CV:野沢雅子)とばかりに忌避していたものだが、大人になったら愛飲している。和食で癖の強いものとか刺激物(わさびとか?)もまた大人になったら大丈夫、いや寧ろそっちの方が好みになる例も少なくない。特に酒飲みのあれやこれやは面倒くさい。最早甘いものは食べられないとか言い出す。せやから辛党て呼ばれるんやけど。

音楽にも似たような傾向がある、かもしれないのだ。甘ったるいメロディーよりも淡くほろ苦い歌詞の方がぐっと来るようになったり…。もうちょっといえば、ファンタジックだったりロマンティックだったりするものよりも、よりリアリスティックな、シニカルだったりリザイニングだったりするものに惹かれるようになる。

ヒカルの趣味が変わるとしたら、どちらからどちらに変化しているといえるか。『Fantome』では様々な音楽的趣味が混在していて、何がどうというのは本当に一概には言えないのだが、例えば前に指摘したように『ともだち』などはこのテーマにこのメロディーなのかという感じはする。歌詞だけ読むと悲痛ですらある始まりさえしない悲恋の物語なのだが、メロディーはどこかサラッとしていて粘り気がない。暑くはあるんだけど日本みたいに湿度は高くないからどこかサラッとカラッとしている印象を与える。ホーンが響きパーカッションが涼しい風を送り込んでくる。悲恋の心を隠して表面上は何でもないような顔をして"ともだちとして"振る舞っているような感触が出ている。今までになかった作風だ。

『あなた』も同じような神経を感じる。歌詞は壮大で結構重たいものなのだが、どこか乾いた感すらあるホーンセクションを中心として音像が重くなり過ぎないように纏めている。フックがない訳ではないのだが、ここでも粘度や湿度といった感触は少ない。歌い方自体は粘っこいんだけどねぇ。

この最近の傾向を、一時的な揺れとみるべきか、小さいながらも確実な重心の移動とみるべきか。判断を下すのは早計だろう。ただ"手広くなった"だけかもしれない。『Forevermore』などは、ジャズ寄りのリズムを中心とした新機軸のサウンドとはいえ、全体から漂うムードは『Prisoner Of Love』に代表される伝統的な宇多田ヒカルのそれである。何曲か今までと"違う"曲が目立つようになったからといって変質したとまではいえない。いつも甘いもの好きな人が「たまには気分を変えて」と苦いものに手を出すのと、そもそも甘いもの好きだった人が苦いもの好きになるのではえらい違いである。まだそこらへん、もしかしたらヒカル自身も把握しきれていないのかもしれない。新作に向け引き続き体調を考慮して頑張ってくれ。