無意識日記々

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今やTVはワールドワイドナショー

あぁ、そうか。ニュースとして古くなったら、と思ってても日曜日にワイドナショー他でもう一度ほじくり返されて記事になってもう一度話題になるのね。すっかり忘れてた。しかも今回は当事者である松本人志からコメントが出るという事か。

取り敢えずこの間書いた事を繰り返しておくと、「エディ・マーフィーのコントを上演する権利は最大限尊重すべき(表現の自由)だが、それを大権力(今は地上波メディア)を使って放送する場合は細心の注意を払うべき」だ。細かい論説は繰り返さない。

「OKとNGのガイドラインを作って欲しい」という話が出たようだが、具体例で列挙しても実効性は皆無に等しいだろう。今現在でも自分たちで「アリかナシか」を判断して企画を立ち上げているのだし、今回のケースは「見通しが違っていた」というしかない。必要なのは、放送局の方針である。局として放送した以上、表現の責任を負わなければならない。放送するか否かの権限が彼らにあるからだ。制作会社や、ましてやいちタレントに責任を負わせるべきではない。駄目な内容なら放送を控える。それだけだろう。ガイドラインよりも、局の責任者と制作会社の間の関係と連絡を制度化した方が実効性はあるだろう。

「しめつけが厳しくなるとますますテレビが面白くなくなる」という意見があるが、その通りだ。今の時代、地上波テレビで披露できるネタは多くない。その代わり、インターネットのお陰で表現の場は飛躍的に増えた。際どいネタは有料枠で配信するなど、幾らでも方法はある。存分にエディ・マーフィーのネタをやればよい。それが支持されるかは、知らないけど。

なんのことはない。インターネットが普及して、地上波テレビな力を(加速させる事で)奪っただけの話。その分はネットを使え、と。それだけだ。今やまたたクマに世界中に映像が行き渡れるのだから、ポリティカリィ・コレクトネスに国際感覚が必要になるのは必然の流れ。今まで以上に受け手側の性質を読み取った表現活動が求められるだろう。

でもこの流れ、現状では日本の「文化的鎖国化」を加速させるだけなので、あまりいい面は出てこないかもしれないね。後は一人一人の価値観次第なんだけど、それがあやふやだからこうやって空気を読み合うだけになる。肝に銘じておこうか。