無意識日記々

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確かに笑ってはいけなかったかも

年末特番で浜ちゃんがエディ・マーフィーの真似をして随分と非難されたらしい。皆が話を忘れかけてる位で話題に持ち出すのがここの芸風。

でまぁその議論(?)の中で、「白人の真似をするのもダメなんじゃないか」という話があったらしい。話の順序を取り違えている。差別の何がいけないかといえば、差別が存在するからである。差別とはするものというよりなるものだ。表現が発信されているある特定の社会において差別があれば差別に"なる"表現があるのであって、社会の情勢を抜きにして差別は語れない。

もしこの世に黒人差別の実態がすっかりなくなってしまっているなら、浜ちゃんが黒人メイクでコントや企画を表現しても非難されなかったろう。そもそもの問題提起は「インターネットのある世界で黒人社会に知られたらまずいよ」という助言であった。そこを踏まえねばならない。

したがって、「白人の真似」云々は問題の所在を履き違えている。白人差別のある社会でならそれは問題に、差別に"なる"のだ。白人差別のない社会で幾ら白人の真似をしても差別にはならない。皮肉や憧れといった別種の表現になるだけだ。

今回の場合、大晦日の地上波テレビの番組で披露したのが最大の問題である。影響力が違い過ぎる。これを吉本のライブハウスで行う分には、即ち黒人に対する差別が存在しない空間においての表現であるのなら問題にならなかったろう。今や地上波テレビでの表現はその時見ている数千万人に対してだけではなく、インターネットを通じて日本のみならず世界中の何百万の人間にも伝播するコンテンツとなっている。視聴率は落ちていても全体としての影響力は増しているのだ。そこのところの自覚は如何程であったか。

本来「表現の自由」に大きな価値を見いだす当欄において、黒塗りメイクなどを使った表現手法を封殺する方向に話が進むのは全く本意ではない。話はそこではない。表現自体は極力自由であるべきだが、最終的に誰がそれに触れるかについてまで考えは巡らせるべきである。同じ企画を有料配信サイトやDVDで行っていれば問題はなかったかもしれない。それが冗談として通じる空間でなら価値あるコンテンツだったかもしれない。いつものように、結局「地上波テレビ」というメディアの権力が大きすぎるのが問題である。もう一歩踏み込んでいえば、その影響力に見合うだけの才能を選抜するだけのシステムが欠如している。そこを補わなければこういった問題はまた繰り返されるだろう。

繰り返すが、コンテンツやネタ自体に問題がある訳ではない。それが誰にまで伝わるかが問題なのだ。ネット時代の今、不特定多数を相手にするならば最初は小規模でもいつどこまで伝播するかわかったものではない。自由な発言は重々注意するようにしたいものだ。