無意識日記々

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何故か放送禁止用語に噛みつく私

日本語と英語、日本語詞と英語詞について語らせたらヒカルの右に出るものはいない。そんなヒカルが「英語の方が放送禁止用語を言い易い」と指摘したのだから、某かの真実がそこにあるのだろう。

ただ、なぜ"放送禁止用語"なんていう用語を使ったのか。考え始めると難しい。確かに、他にうまい言い方、指し方ってないのよね。英語圏なら、一昔前でいえば"PC(Politically Correct)"なんて言い方もしたが、厳密に言えば日本に"放送禁止用語"なんてものはない。誰が誰に禁止をさせてるかわからないし、言ったからといって罰則が待っている訳でもない。しかし、現実としてうっかり発言したら謝罪があるし、テレビ出演自体を封じられる事態まである。実質的には放送禁止用語は存在していると言わざるを得ない。機能しているのだから。

歌詞だって例外ではない。放送禁止用語が歌われていれば放送に乗らない。また、用語自体は大丈夫でも政治的な色合いが濃いと敬遠される。地上波は、自由な表現を求めるには余りにも力が大きすぎるのだ…

…って脱線してしまったが、「こどもに使って欲しくない不適切な表現」をヒカルがついでもふとでもなんでも使ってしまうのは何故なのか。多分、それで支障がないからだろう。だったら別にダヌパが使ってもいいような気がするが。冷静に考えて、何を気にしているのか。寧ろその点こそが日本語と英語の違いなのではないだろうか。自分で使っているのに他者には使って欲しくない言葉、それは自分も使うべきではない言葉?自分に使って欲しくない言葉?そこを詰めないとこの妙なツイートのポイントが掴めない。日本語に存在しないのは"悪い言葉"ではなくて、自己と他者に使用を要求したり禁止を要求したりする際に差異があるかないか、なのだ。そこを掘り下げたら面白そうだな。