無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ついグロい表現を使ってしまった

同じ年末の番組でもうひとつ問題として取り上げられていたのがベッキーのくだりだ。こちらはエディ・マーフィほどバズらなかったようだが、より根が深いのはこちらの方だろう。何故なら、ベッキー自身が不問だと肉声で発信したからだ。

例の不倫問題の禊ぎと称してタイキックを食らわされるという十年一日な茶番だったが、私はこういう笑いがわからない訳ではない。というかうっひゃうっひゃゲラゲラ笑う方である。なので、ネタとしてやる分にはどんどんやってくれて構わない。しかし、やはり地上波テレビ番組でというのが無茶だろう。幾ら「魔法少女まどかマギカ」が名作だからとはいえイヌカレー空間を夜の7時にお茶の間に流していいのか悩ましい、というのと同様に、何千万人規模の視聴者を相手に「私刑」の模様を流していいのかと。例えばあれがタイキックではなくギロチンで、精巧に作られたベッキーの人形の生首が血まみれで転がって皆でそれを蹴飛ばしてサッカーをする模様が90分大晦日の夜に全国ネットで放送されたら多分マズいだろう。それでも私はゲラゲラ笑っているかもしれないが、世間は許さない。

タイキックではOKかもしれなくてギロチンサッカーならアウトなのだとすれば、これはつまり「程度の問題」として捉えられているという事だ。そこからしてまずい。本来、「私刑」を肯定するような茶番は一億人の人口国で何千万もの人間に向けて無造作に放送していいネタではない。法治国家の思想に関わる事だからだ。

これがフィクション・虚構ならまだ余地はあるだろう。しかし、ベッキーへの「私刑」の理由が、視聴者からみて現実に起こったとされている不倫問題なのだと受け取られているなら、幾らお笑い番組とはいえこれは現実にリンクしたエピソードなのである。つまり、蹴られたベッキーはお芝居ではなく現実に蹴られているのだ。本人として。


話が難しいな。続きを書くかは気分次第だわ。