無意識日記々

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ツアータイトル無いと締まらんな

明日の正午にはCD封入先行抽選申込みの当落発表か。狂喜乱舞と阿鼻叫喚が入り乱れるタイムラインがみられるのだろうか。

「当たったら嬉しいし、外れたら残念だ。」以上の感覚がない私は、「ふーん。」という顔でいる。今まで何度もヒカルのライブを観てきたから故の余裕だろう、と自分で言っとく。今回が初めての方々は気が気ではないだろうけど、私の人生は既に「宇多田ヒカルのコンサートを生で観た事のある人生」なので、もうその事実は揺るぎない。嫉妬されるべき人生とは、本来こういうのを言うんでないの。

勿論次も観たいが、前も書いた通り、毎日が「今夜も宇多田ヒカルを観たかったのに観れなかった」という日々だと思えば、チケットが当たってもそういう日がたった1日減るだけである。毎晩観たい。どうせならずっと一緒に居たい。あぁ今の私の方がずっと痛い。

本来の感情はそういう所にある。勿論、現実は容易ではない。チケットに一縷の望みを、というのはわかるが、まだ先行抽選でしかないのだし、ギリギリまで頑張ってみようぜし。全力尽くしてもダメだったらそれもまた風流、だよ。

これでチケット騒動が一応収束してくれたら有り難いんだが、そうは問屋が卸さないとばかりに第一次、第二次と続いていくかと思うと、その煩わしさから逃れる為にも早く当選して欲しい、とか思ってしまう。なんだろなこれな。

新譜の出来は文句なく、いや、幾らでも文句はつけられるのにそれを何とも思わないほど充実して、素晴らしい。その新作に伴い行われるツアーもそりゃあ行きたい。でも、なんだ、「宇多田ヒカルのコンサートに行くのがもっと普通になってほしい」というのが、あるかもしれないな。特別過ぎる。全員当選とかできないのかね? いつまでも「特別な日」のままだろうか。

それは、今悩む事じゃない。現実はこう、だ。今は、昔は一年間毎週やってた『トレビアン・ボヘミアン』すら『スペシャル』だ。稀少価値を出していきたい、という戦略も理解できるが、当方ヒカルに「他に何も特別な事がないのにいきなりやってきて歌を歌えば人を魅了できる」レベルの歌手になって欲しい、のかも、しれない。演出不要のパフォーマンス。それさえあれば…

…って、なんだ、やっぱりライブが観たいんじゃあないかね私は。嘯いているつもりはないのだが兎に角これが本音なのだ。当選時の感動を遙かに上回る程良い歌が聴きたい。