無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

『だから私はこの問題に言及したい』

今回もELLE CHINAのインタビューの引用から始めよう。

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“ある程度、私はこの問題について日本で話す責任があると思います。 ”

“日本人の国際ニュースに対する意識や、日本のテレビや主流メディアで報道される国際ニュースの量を心配することがあります。今、誰もが常にジェンダーのトピックに情熱を傾けており、時には意見が極端ですが、このトピックについて話さないよりも、少なくともこのトピックについて話す方が良いと思います。だから私はこの問題に言及したいと思います、それはいくつかのプラスの効果があります。 ”

https://mp.weixin.qq.com/s/ZC1tumUjxZwrv50s8iIq5g

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ご覧の通り、ジェンダーの話題についてヒカルは

『このトピックについて話さないよりも、少なくともこのトピックについて話す方が良いと思います。』

と言ってるのでこちらも積極的に取り上げていこう。

ヒカルがこの話題について積極的なのは、自身がノンバイナリであるからという当事者意識がある為だ─とずっと私は書いてきているが、誤解のないように言い添えておくと、ジェンダーの問題は我々全員が当事者である。大多数を占める異性愛者やシスジェンダーといった属性は、性的指向性自認に於いてただ単に数が多いというだけで、他の属性と特に違いはなく、単なる「分類の一つ」に過ぎないからだ。

しかし、こういった相対的で平等な意識をもつのはヒカルですら難しかったというのを、昔からのファンなら知っているかもしれない。ヒカルはハリウッドでの役と役者のジェンダーの組み合わせの是非について、2018年にこんなツイートをしている。このツイートが問題となった。

『@utadahikaru : I’m confused. Isn’t saying that “straight” actors shouldn’t get to play transgender roles the equivalent of saying that transgender actors shouldn’t get to play “straight” roles? Rome wasn’t built in a day...』

posted at 2018/7/21 6:40

https://x.com/utadahikaru/status/1020423197462843394

これを英語のまま読める人ならそのまま読めばいいのだけど、グーグル先生に日本語訳を頼むとこのツイートの何が問題かがわからなくなってしまうのでちょっと書き換えさせてもらう(というか元に戻すだけなんだが)と、

『私は混乱しています。 「ストレート」の俳優がトランスジェンダーの役を演じるべきではないというのは、トランスジェンダーの俳優が「ストレート」の役を演じるべきではないと言っているのと同じではないでしょうか?ローマは一日にして成らず…』

という風になる。この、「ストレート」という表現。ここが問題になった。先述したように、それぞれの性的な分類のどのひとつも、それぞれの人数の多寡に拘わらず互いに平等に扱わねばならない。だが、シスジェンダーの人を「ストレート」と表現すると、それが正統的・正常・普通であり、それ以外を異端・異常・アブノーマルとする「非対称な」「平等ではない」態度を持っていることになってしまうのだ。それを指摘されてヒカルはすぐに、

@utadahikaru : Ah ok I see it should have been “cisgender” rather than “straight”

posted at 2018/7/21 6:58

https://x.com/utadahikaru/status/1020427683442888706

とツイートした。日本語で書くとこうだ。(ここもグーグル翻訳に頼むと躓くので私の訳で。またも元に戻しただけだけど)

「あぁそっか、“ストレート”じゃなくて“シスジェンダー”と言うべきでしたね。」

その間20分足らず。ヒカルも間違うことはあるが、素直な性格なので反省と修正は恐ろしく速いのだった。美点だよねぇ。見習いたい。

(※ なおシスジェンダーが何なのかご存じでない方は申し訳ないけど検索しておくれ。え、大事なことなのに省略するんか!?…いや、書こうとしたんだけど中途半端になりそうだったので丸ごと削ったんよ。)

で。何が言いたかったかというと、ヒカルでさえ5年前という「割と最近」でも、こういう間違いを犯したりしているのだ。というか、恐らく、このことを契機にしてこのあと自身がノンバイナリであると自覚していく流れが作られたのではないかと思われる。そう考えると結構ヒカルの人生全体からみてもかなり重要な「間違い」であったとも言えそうだ。なので、ヒカルですらこうなのだから、我々も間違いながらであっても前に進んでいくべきなのではないかなと、そう私は言いたいのでありました。つまり、今後も間違いなどを恐れずに遠慮なくこの話題の日記を書きますよって話なのでした。どうぞよろしく!