無意識日記々

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『精神分析に関心を持ってくれた人たち』へ

っとと、前回の続きを書く前にヒカルのツイートが入ってきたな。

@utadahikaru:好評のようで嬉しいです。雑誌を手にしてくれたみんなありがとう!

posted at 2022/6/7/16:30:56

@utadahikaru:精神分析に関心を持ってくれた人たちの中に、「受けたいけど高そう」っていう意見をチラホラ見かけるんだけど、私の知る限りイギリスでは料金を自分で決めるよ。誰でも平等にメンタルヘルスケアを受けられるように。昔アメリカでカウンセリングを受けた時もそうだったけど、日本はどうなんだろう…?

posted at 2022/6/7/23:06:59

@utadahikaru:イギリスとかアメリカも精神分析家やカウンセラー、または内容・分野によって違うのかもしれないけど…

posted at 2022/6/7/23:09:42

まず夕方に雑誌購入者への気遣い。インタビュー全文公開(写真もキッチリ公開)するんだったら雑誌買う必要なかったじゃん…という気持ちを和らげてくれてますな。

そして夜には精神分析の話に自ら切り込んでいく。見出し向きな四字熟語だけど実際のインタビューの中身をみたら特に深刻な様子はなく、友達に自己洞察の手順を手伝って貰ってる程度の話で拍子抜け─だなんてゴシップ読みには思われてるのかもしれないが、そういう空気の中でヒカルが拾い上げるのは「(精神分析を)受けたい人」だというのは至極真っ当。興味を持ってくれた人には助けになるだろう自信があるのだろう。

一方で日本語圏では精神分析というとかなり心理的抵抗感が強い。昭和の頃は精神病院/精神病棟/精神科への偏見が根強かったが令和の今になってもその名残があるんだろうかな。じぇんじぇん異なる分野までいっしょくたにされてる気がする。

精神科や心療内科といったセクションへのアクセスの心理的抵抗感が強いのは、結局それが程度の差を考慮せず深刻な病気扱いになってしまい積極的な予防活動などが難しいというのもあるのだろうか。

だとすればこれは産婦人科が抱える問題とも近しいのかな。最近の報道でも出産に健康保険が適用されない事に驚いてる人を見掛けたが、何故健康保険が効かないかといえば「出産は病気や怪我ではないから」なのだと。あクマで健康保険は疾病に対して適用されるべきもの、という法の建て付けのようだ。

ここらへん、精神分析のような領域には痛し痒しだわね。保険適用して支払料金を下げアクセスしやすくするならそれは「病気の治療」という建前にしないといけなくて、そこで(何故か)深刻な風に世間から受け止められる。

一方で「これは病気の治療とかではなく、字の通り単なる精神や心理の分析に過ぎないんですよ」という感じで心理的な抵抗感を下げにかかれば、今度は健康保険が適用されず支払いが嵩み予算的にアクセスが難しくなる。どっちに転んでも痛し痒し。

(産)婦人科も似たような問題抱えてたなぁ。十代の女子は門をくぐるだけでも相当ハードルが高いとか。気軽に相談できればいいんだが。

心理的抵抗感というのは、それが世間体であれ個人的な価値観や偏見であれ、技術も設備も人材も足りていたとしても現実のアクセスを減らしてしまう厄介な要素だが、極論すればそこが緩和されたらそれ自体でかなりの精神的問題が解決されそうでもある。心の病に罹る、或いは精神に不調があらわれたときに、風邪を引いた程度の気軽な対応で…って昨今は感染症禍で風邪っ引きも結構なイベントになりかねないんだった。いやはや、ややこしい!

なんか話が逸れまくっているが、そういう状況の中で宇多田ヒカルのような人がこのように積極的に精神分析という単語を発していくのはそれだけで心の不安を抱えている人にとっては福音になるやもしれず、これは非常にいいことだと思う。願わくば、精神分析の分野が、疾病や治療から完全に離れて、単なる知的好奇心のみでアクセスしても構わない世間が構成されたらいいのにな、なんて風にも思ったり。実際、インスタライブで今から精神分析いってきますって言うヒカルは、友達とお茶飲んできます位の気軽な感じだったのだから、あのノリが浸透すればいいのよね。なんとかならんもんかなっ。