今後も何度も引用すると思うが、今日もゆみちんの名言・ヒカル評を引いていこう。
「彼女の透明さ、無欲さ、お若い頃から達観していらした、あの空気や水のような存在感」
https://sp.universal-music.co.jp/ringo/houjoya/linernotes/
実にヒカルちんの本質を的確に簡潔に述べた一文なのだけど、冒頭の「透明さ」という表現には、少し注意をしないといけない。例えばいわゆる巷で言う所の「透明感」てのとは、若干ではあるが違いを含んでいるからだ。
ちょうどファッション系のサイトにいい文章があったのでこれも引用しておこう。
「「透明感」は、辞書的には純粋で濁りのないさまを指す言葉だが、メイクのスタイルや肌の質感などのビューティ、人物の雰囲気などを表すためにも頻繁に使われている。
メイクでは、光が入り込むようなみずみずしいツヤ、抜け感のあるミニマルなポイントメイクなどが「透明感」の演出としてあげられる。またカラーコントロール下地では、黄色とオレンジを打ち消す、寒色系のパープルやブルーなどが「透明感」を出すとされる。水やガラスなど透明なものが寒色系の色を連想させることが理由と考えられる。」
https://www.wwdjapan.com/articles/1395498
そう、透明感というのはそのまんま視覚的な話である事が多いのだ。光を透過するっていうね。なので、宇多田ヒカルは今まで「透明感溢れる美女」とは呼ばれずに来ている。時には色白とも言われてたのにね。また、歌声もクリスタル・ボイスとは対極ともいえる発声だったので、こちらも余り透明感と呼ばれるケースはなかった。25年間で、視覚的にも聴覚的にもずっと無縁のキーワードだったともいえる。
なのにゆみちんが「彼女の透明さ」と真っ先に言いたくなるの&わたしなんかが甚く共感するのは、つまり「人としての佇まい」そのものに何らかの透明さを感じているからだ。
ヒカル自身の言葉も引用しておこう。2006年4月18日のメッセより。
『私はずっと自分と外界の境界の意識があいまいで、「自分」をはっきり感じられないデスよ。よく言えば自然体、悪く言えば自覚が足りない(´〜`;
ちっちゃい頃から、生きてるっていうことにすーっごい違和感があって、いっこうに慣れないよ!なんか急いで電車に駆け込んだら、女性専用車両にのっちゃってて「あれ?」ってなってる男、みたいな。そういう違和感を感じることってない?私は日常生活の中では、いつも!感じんのよ。なんかこの世に舞い戻ってきちゃった方向音痴な幽霊みたいな気分よ。墓地とか通るとなんか心が落ちついちゃったりするのよ。
君はしないデスか? (・⊆・
』
https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/utadahikaru/from-hikki/index_74.html
これから連想すると、「方向音痴な幽霊」という言い方は、「この世で透けてる」ビジュアルを喚起するので、ある意味そこに「透明さ」のようなものはある、とは言える。これは先述の服飾美容の文脈での透明感とはかなり別の、自分自身の体性感覚、心理状態の話になるだろう。
ただ、だからといってこれが「存在感が無い」という方にもいかない。少し昔に「透明な存在」というキーワードが流行した事があったが、これは早い話が「周囲から無視されている」という意味で、服飾美容の透明感とも、ヒカルの透明さとも別の概念だ。…ほんに、同じ言葉が様々な文脈で用いられてるものだなと感心・嘆息する。
ヒカルに関して言えば、ゆみちんが同時に「あの空気や水のような存在感」とも語っている事からもわかる通り、存在感はないどころか、非常に大切な、非常に重要な存在感があることがわか…ああ、ここでも齟齬があるのか。「空気や水」という比喩を「普段存在を意識しない」と捉える人と、「なくてはならないもの」「なかったら私死んじゃうもの」と捉える人で別れるのね。つくづく、正確に物事を捉えて人と伝え合うのは難しいと痛感するねぇ。
前々回にも書いたけど、ヒカルは超然とした佇まいにありながら、誰にも寄り添う、すぐそばに居てくれる、そういう感覚を与える人だ。そして、生きていく上で最も大切なことを一緒に見てくれる、見せてくれる。恐らくゆみちんはそこを指して「あの空気や水のような」と言ってると思うんだけど、はてさて真意はどうでしょうかね? でもま、その答はちゃんと「浪漫と算盤」に込められていると思っておきたいよ。