無意識日記々

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「ホモサピエンス史上最愛のメス」

今日の光のツイートはまた政治家への不信感ありありな書き方でハラハラするぜな気分だが(あ、政府と民主党は別だぞ議院内閣制だから彼らがやってるってだけで立法府と行政府はちゃんと区別しないと)、i_は日本が昔から「経済は一流、政治は三流」とか揶揄されてきたのはそんなに悪い事ではないと思っている。政治とは物事の成功・成果から最も離れた営みのひとつであり、腐敗や裏切りは内在的、本質的なものだ。一億人前後の人間を擁しているからには才能溢れる人間も大量に居て、彼らが政治家を志していないからこそ政治が三流になるのである。その分、我々は世界でも有数の科学技術と医療体制と治安維持(いやそりゃ問題はいっぱいあるんだろうけどね、相対的な話)の恩恵を受けて生活できているのだ。現場の技術者や職人に才能が集まっている為上に立つ人に人材が残らないというトレードオフ。ならば政治は「余計なことをしない」のが一番なのだ。まぁ、光はそういうこと(余計なコトしないでね〜)を願ってツイートしたん
だと思う。そりゃあれだけの大金(年収の大半?)を差し出したのだから彼女には言う権利はあるわいね。

そういう意味では、光のような多岐に渡る才能をもつ人間がこれまで音楽に専念してきてくれたのはとんでもない僥倖であったといえるだろう。職人は多いものの、こと文化的な側面においては日本という国には偏りが見られる。恐らく文化的な営みの中で最も才能が集まっているのは漫画とアニメの世界で、高畑宮崎や鳥山尾田といった現代の巨匠たちは歴史に名を残すだろう。中興の祖というか、中心である手塚の医大さ(いやそりゃ医学部だったけど)、もとい偉大さはいうまでもない。世界史の歴史の中にバッハやピカソアインシュタインと共に名を刻むべきだろう。

一方、大衆音楽はというと些か心許なかった。そこに宇多田ヒカルである。この、ホモ・サピエンス史上最愛のメスが歌を唄ってくれる幸運。後続がなかなかついてこれてないのは突然変異的に質が高すぎる為であり致し方ない面もある。ひょっとするとホモ・サピエンスの次の種への端緒が光かもしれない、そんなことまで考えてしまう。

…日本だけの話のつもりがいつの間にか人類全体の話になってしまったのでこれ位にしとく。次回はGlobalizationの続き書かなきゃだし。で、そんなことはないとは思うが、くれぐれも「今の政治は不甲斐ないから私が」なんて思ってくれるな。才能が文化的な営みに(つまり生きていく為には必ずしも必要でない分野に)費やされる事こそが平和の証なのである。"そうも言ってられなくなる"時代が来ないよう、やっぱり民主党さんしっかりしてください。(どないやねん)


P.S. もう方々で言われてるだろうが、去年のM1のスリムクラブの2本のネタ、本当に予言的だったなぁ。見知らぬ人のお葬式、放射能、塔、土、民主党