無意識日記々

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東京物語

小津の東京物語は何度観ても素晴らしい。ひとつのジャンルについて何が最高傑作かという問いに答えるのは容易な事ではないけれど、こと"映画"に関してはi_は一応、少ない本数しか観ていない中からとはいえ、この東京物語を挙げる事が出来るという点でこの作品は傑出しているといえる。これは洋邦古今東西、アニメ実写を問わず、だ。ときに文学的、ときに絵画的、ときに詩的、音楽的な演出の数々は映画という総合芸術の可能性を目一杯引き出している。活動写真というより活動絵画と呼びたくなるほどワンカットワンカットが丁寧に描かれていて(写真と絵画の優劣の話というより、それ位一枚のカットを仕上げるのに手間暇がかかっていそうという意味)、まるで2時間あまりかけて美術回廊を一回りしたような気分になれる。それほどにアーティスティックでありながら、1950年代当時の日本の通俗感を端正に織り込み、然も世界のいつのどこの人の共感も得られるであろう人間生活の機微を、洗練され尽くした台詞回しで淡々と、しかし
仄かに鮮やかに描いていく。芸術性と大衆性の行き着く先の交差点に、この作品はあるようにみえる。

みおわって、ふと思い出したのがGBHPVだった。光の初監督映像作品、とんでもないアイディアの密度を持ちながら押し付けがましくなくサラリとみせる技術、CGや大掛かりなセットを用いなくとも簡素な小道具の連なりで機微を描くセンスは、小津との作風における共通点というより"演出家としての志と実現への執念"という点で相通ずるものがあるな、とそう私に感じさせたからなのだろうか、自己分析は出来ていないが、もし光が2時間尺の映画を撮ることになったら凄いことになるんじゃないか、それとも、GBHPVはあクマで光が作詞作曲した歌が前提としてあったから成し遂げられたものであって、音楽がそもそもなければ映像を作る"とっかかり"がこの子にはないのだろうか、と様々な妄想が駆け巡る。もし仮に実際の映画の撮影に入ってしまえば何年もアウトプットのない時期が続いてしまうのが何とも痛いが(ファンてわがままだなー)、出来あがる作品は凄まじいものになっているかもしれないという期待はやはりある
のだった。まぁその前に、英語曲を書いてそのPVの演出をして、果たしてYoutubeで何回の再生回数が叩き出せるか、まずそっちの方が見たいかもしれないな。