無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

文化的充足をどこから得るかの話

どこか他の国に移住するとして。案外大事なのは食生活なんじゃないかとふと思った。

昔から何故イギリスの若い労働者階級から次から次へと音楽的才能の傑出した人材が輩出されるのか不思議に思っていた。音楽的土壌と伝統と言ってしまえばそれまでだが、何か他にも要因はないものかと。そして考えた。もしかしたら、若者の食文化が貧しいからなんじゃないかと。

日本からはなかなか音楽的才能は出てこない。国立の大学に学科をもつようなジャンルは別として、庶民レベルでは大抵が欧米の大衆音楽のコピーかそのコピーのコピーを生み出している。というか、そもそもあんまり音楽が生活の中でそんなに息づいていない。錯覚ではあるのだが、無くても別にと思っているフシがある。

それは、かなりの広い層に対して食文化が維持されているからではないか。コンビニに行ってもその品揃えには驚かされる。

そもそも、日本人やってると気づき難いが、食事に文化なんて必要はない。栄養摂取だけなら極論すれば点滴だけで十分だ。そこまでいかなくても、もっとシンプルで時間のかからない食生活になっても生体的にはさほど困らない。

なんていう事を言って反発を食らうのは、それだけ皆無意識裏に食から文化的充足を受け取っているからだ。寧ろ、栄養摂取というタテマエが話を分かり難くしているとすらいえる。

食は精神的作用が大きい。全く同じ食事でも、容器と照明を変えるだけで食後の感想は変わる、いや、味が変わる。栄養摂取に対して精神的効用の割合が遥かに大きい。その程度が更に甚だしいのが日本なのではないか。

つまり、我々は食事からかなりの割合で生活の中の文化的充足を得ていて、音楽など他のものに頼る必要がない。一方で、イギリス人は食事から得られる文化的充足が相対的に低い為、音楽など他の文化に精神的なものを求める土壌が揃っているのではないか。そんな風に考えた。


ヒカルの幼少の頃のエピソードから察するに、なんだか随分と"貧しい"食生活を送ってたんじゃないかという感じが漂ってくる。ヒカルの好きな食べ物、納豆とかもずくとかいった製品に共通なのは、パックを開けたらすぐに食べられる事だ。幼くて料理も出来ない(大きくなってからも随分出来ていなかった、という話はこの際脇に置いておいて)ヒカルにとって、冷蔵庫を開けて取り出してすぐに食べられるメニューは重宝したに違いない。あの両親の事だから(って俺に何がわかるというのだ)、ヒカルの食事を忘れる事は一度や二度ではなかっただろう。温かいできたてに抵抗があって、冷えて端に残ったものがいい、というエピソードもそういう妄想に拍車を掛ける。

その、食文化の欠落を音楽で埋めた…という言い方は既に日本人的かもしれないな、精神的文化的充足を、食ではなく音楽で得る環境の中で育ってきたから音楽に対する比重が大きくなったんじゃないか。そんな風に私は想像してみたのだった。


しかし、昨今随分とイギリスの食事も美味しくなってきたようで、もし今後イギリスから音楽的才能が出てくるペースが落ちてきたりしたらそれはご飯が美味しくなってしまったせいなのかも、わかりませんですよ…。