無意識日記々

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『One Last Kiss』MV

何度観ても『One Last Kiss』のミュージック・ビデオがやばい。やばい。ヤバ過ぎる。

人は、作る人は夢を見るものだ。小説の地の文が全て諺や格言のようなフックのある文章だったらな、と。4分の曲の全てのメロディがサビメロなみのフックをもっていたらなと。二時間の映画総てのカットが名画だったらなと。しかし、そんな事が叶う筈もない。たった一瞬の、一つのフックを作る為に何百時間、時には何千時間も費やすのだ。そんな作品が生まれいでれる筈がない。人生百年は余りにも短いのだ。

その筈だった、のだ。しかし、このMVはまさにそれそのものではないか。ワンカットワンカットが総てフックライン。ヒカルのコロコロ変わる表情と仕草がこれでもかと詰め込まれている。誇張でも何でもなく、毎カットいやさ毎秒がフック、フック、フック! 異常of異常。異様of異様。ありえないありえないありえないありえない!こんなの!ありえる筈が、ない!!!

しかし、こうやって本当に目の前にある……。今までは、光自身が監督した『Goodbye Happiness』が最高のビデオかなとずっと思っていた。ずっとヒカルのワンショット。可愛い表情と仕草が満載で、いつまでも観ていられた。

しかし、ラスキスMVは密度が違い過ぎる。音楽で言えば全フレーズがサビメロ…どころの話じゃない!一音一音がキラーフレーズとでもいうべき鬼のような密度で宇多田ヒカルの姿が詰め込まれている。密度が高過ぎて重力崩壊を起こしてブラックホールが生成され量子輻射で別宇宙にワームホールを形成させビッグ・クランチを押し戻してビッグ・バンをプランク定数の逆数乗数位同時生成したかのような、そんな密度だ。何言ってんだ俺。

長年私は人類史上最高の映像作品は小津安二郎の「東京物語」だと信じて疑っていなかった。どんな映画を観てもこの二時間に優る作品はなかったのだ。二十歳の頃に観て以来四半世紀に亘ってこれぞ最高正しく至高と確信し続け、Twitterのプロフィールにも「映画:東京物語」とハッキリ書き記して10年が過ぎている。この箇所は過去一度も変えた事が無かった。

しかし、もしかしたらここを遂に書き換える時が来たのかもしれない。この4分余りの映像作品は映画とは言えない。ただのミュージック・ビデオだ。感染症禍下のロンドンで自撮りなんかの素材を掻き集めて継ぎ接ぎしたありあわせに過ぎない、ヤッツケ寸前の動画なのだ。総ての小物の位置を綿密に計算し尽くしてあらゆるカットに美を宿らせた小津の創意工夫の粋を集めたあの究極の美を湛えた映画のクォリティと果たして較べてもよいものか、非常に悩ましい。しかし、映像作品は結果が総てだ。本当に本当に、全カットに目を引かれてしまう。実際、『One Last Kiss』の音声をまるっきりミュートにしてもこの映像作品はずっと観ていられる。Twitterのタイムライン上でもMV初視聴の人が「全く曲が入ってこなかった」と言っていた。そりゃそうだろ!さもありなんむべなるかなとしか言いようがない。そのTwitterでは、過去最高最大級のスクショ祭りが繰り広げられている。昔あった画像掲示板とかでもここまでひとつのMVからスクリーン・ショットが撮られた事は無い。ファンが確実に狂っている。狂わせるだけの威力がこのラスキスMVには間違いなくある。悪魔と天使が、閻魔と女神がフュージョンして総てを灰にし尽くす程星々を燃やし切ってもここまでの輝きは生み出され得まい。本当に凄い。

恐るべし庵野秀明。そして、なにより恐るべし宇多田ヒカル。ここまでの魅力を放ち、それを余す所なく捉え切るとは。流石に今は冷静になれていないとわかりきっているのでTwitterのプロフィールを書き換える事は控えるが、何ヶ月かして冷静になれた時にもう一度検討してみて、それでもこのMVの威力がそのままであったなら、本気で好きな映画No.1の座について考えてみようと思う。一生これだけは変わらないと思っていた項目だったのになんてこった。本当にこの人からは、目が離せない。